「2章 あやめながきね(5)」で明子の和歌に触れてます。
勅撰和歌集に幾つか採録されているうち、明子の恋の和歌はこれだけです。
最初、道長と明子の話を書こうとか全然思っていなくて、彼らの息子である長家に興味があって調べていました。
彼は定家の祖先で和歌の家ということなので、環境的なものを調べていたんですね。
初見でもうめっちゃときめいて……!
だって、明子は出自からも環境からも道長以外の男のいる余地がない人なんですよ。これってもろに「恋愛関係にある男女」でないと出てこない内容です。
一方、倫子にはこの手の和歌ないんです。後朝でさえ。家を盛り上げる意味もあったのか、倫子回りの和歌はかなり残っているのですが、恋の和歌はひとつもありません。ある意味当然かもしれません。
服藤早苗先生の著書だと思うんですが、近い時期らしい道長関係の和歌の詞書で「預けていた襪の型を取りにやらせたことを恨んで」という内容のものがあり、「明子が倫子より先に結婚していた可能性」について触れられていました。
この詞書があまり重要視されていないのは、詞書ということもありますが、読み手の記述に混乱があり、明子でなければならないはずが、母親の愛宮になっています。
『源氏物語』「夕霧」では、娘の落葉宮と通じたと誤解した一条御息所が恨みの文を送っています。そういうことが後見である母親からあったとすれば愛宮でもおかしくはないのかもしれません。
もしそうなら、道長と明子は先に結婚していて、それは愛情が伴うわりと真っ当なもので、後から倫子が割り込んだ、という形になります。だとしても、倫子の息子からのちの摂関家ができるわけだから、そんな都合の悪い事実は残すはずはないです。
明子は一応女王のままのはずで、倫子は左大臣の娘とはいっても臣籍です。皇族への尊崇が形だけだったとしても天皇の外戚となることが政争の要なら、おおっぴらに喧伝してプラスになることは何もありません。
正直、私、この和歌見たとき、脳内で小田和正が流れて高速使ってRX7で明子の家に向かう道長が見えました(バブル
やだ、めっちゃ月9やん……。
こんな健気な和歌送る女に恋しない男、おる? って思って、私まで恋に落ちて同人誌一冊作ってしまいました。
一応、私の思い込み100%だといけないので、当時職場が一緒だった平安時代の和歌専門家の同僚に確認してもらいました。
とりあえず致命的には問題はなかったみたいです。
名前だしていいかわからないので伏せますが、その節はありがとうございました。