雪があんまり降らない場所に住んでいるからか、冬が来ても自分が今まさに「冬」の最中にいるなんて実感、全くと言っていいほどない。
でも当たり前のように時を過ごしてみれば、もうそんな季節なんて通り過ぎていて、近所の公園には桜が咲いていた。
僕はwikiを見るのが好きだ。
過去の偉人、海外のアーティスト、名作と呼ばれる小説の書かれた経緯。
詳しく説明されている合間にその人物などの白黒写真が載っていることが多い。
添付された写真はそれら全ての存在した時間を閉じ込めて、僕のスマホ上に姿をうつしてくれる。
ところで、白黒の写真をAIを使って当時の色を予測し、カラー写真に甦らせる技術をご存知だろうか。
wikiやGoogleの画像検索で出てくる過去の写真はほとんど白黒。
でも、それだとどうしても、その偉人が。その瞬間が。その季節が、
その時その場に今僕らが見てるこの「現在」のように、当時存在していたという実感が湧かない。
当然、生きていた。暮らしていた。笑っていた。
彼らも。
写真というのはきっと「タイムカプセル」になりうる。
楽しい瞬間。
衝撃的な瞬間。
残酷な場面。
全ての時間を閉じ込めて、一枚の紙っぺらとして写し出す。
過ぎた時間は戻ってこないが、未来に届けることはできるはずだ。
そう考えると、数十年後、僕に死期が迫ったその時、本当に振り返って見たい過去は友達とのツーショットではなく、あの「時」の何気ない日常なんだろう。
僕が生きていたということをいつか誰かに遺したい。
僕は、世界は、日常は、生きてたんだ。
僕が生きていたあの時代は確実に。
写真に未来へのメッセージを託して。
4/2 「魔法」写真家チロの懐旧
どうも、宣伝でした。