こう言ったらまた非難されると思うけど「WEBに上がってるなろう小説を読まずに非難する」とか「遊んでないゲームを非難する」とか「観てない映画を非難する」っていう
「論外」の人たちの気持ちは、俺はとてもよく理解できるんだよね。もちろん共感なんて一切できないし「断じて」許されざる事。っていうのは分かるけどさ。
何で作品に触れずに非難するのか? というと「嫌いな事にお金や労力を書けることなど言語道断」だから。
嫌いな作品を読むにせよ遊ぶにせよ、それは「苦痛以外の何物でもない」んだ。ましてやそのためにお金を払うだなんてもってのほか! となる。
俺だって嫌いなゲームプロデューサーの1人や2人いるし、そいつが作ったゲームは「親の命がかかるのなら仕方なく遊んでやってもいい」位に遊びたくない。
可能ならば俺の人生において今後1秒たりともそいつが作ったゲームを入れたくないし、実際そうしてる。
嫌いな作品に触れるのは『お金をもらったとしてもしたくない』事なんだ。
だから「WEBに上がってるラノベを読まずに非難する」「遊んでないゲームを非難する」「観てない映画を非難する」って事が起きる。1秒たりとも自分の人生に関わりたくないからな。
もちろんそれは「ラーメン屋に行かずにその店のラーメンを不味いと非難をする」位の「決して」許されざる事なのだが、そうしてしまう気持ちは分かる。
そう考えると「アニメ化したなろう作品の原作を読まずに非難する」でさえまだ「まとも」と言えるんだよな。
創作者しか知らない事で意外かもしれないけど、アニメと原作小説は「シナリオは同じだけの完全に別物」であって原作は良いけどアニメはクソだとか、その逆も当たり前のように起きるんだ。
でも消費者側はそんな裏事情など全く知らないわけだ。だから「このアニメはクソだからマンガも原作もクソなはずだ」って思って叩くわけ。
繰り返しになるけど「読まずに非難」とか「やらずに非難」は「断じて」許されざる事であるのは十分分かっている。ただ、そういう人間が出て来る「仕組み」を伝えたかっただけだ。
そういう人間には「読んでから非難しろ」って言っても「読むのが苦行だから出来ない」ってなって1歩も動かないし「動け」ない。
今回は例えていうなら「犯罪が起きるメカニズムを解明」するのが主な目的なので
「読まずに非難」する気持ちは分かると書いたけど、それを推奨するわけでは断じてない。とは言っておく。
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