「娘にとって私は外れなのかな」「プレッシャーでしかないです...」 若者言葉「親ガチャ」に苦しむ子育て世代
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6472045 日本を含めた先進国で少子化が叫ばれているというのに、それを加速させてどうする。いつの時代も、特に令和の時代では子供を産むのは無条件で善であるのにそれに水を差すな。
俺がソシャゲを嫌いだからってのもあるけど、何でもかんでも「ガチャ」をつけて「運不運」ですべてが決まるような言い分は大嫌いだ。本当に「大嫌い」だ。本当の、本当の、本当に、大嫌いだ!!
確かに人生においては「運不運」で決まる場面もある。それは「絶対に」ある。これは事実だろうし俺もそこは認める。だからと言って「全てを運のせい」にして努力を放棄するのも間違い以外の何物でもない。
少なくともこの文章が読める、という事は相当恵まれた方に入る「親ガチャ成功者」であろうから努力は放棄するな。重要なのは「日本人として産まれたからにはそれなりの努力はしろ」という事だ。
そもそもの話、世の中不公平で不平等なのは当然かつ当たり前の事だ。もう1度言おう。世の中は「不公平なのが当然」であって「不平等なのが当たり前」なんだ。
産まれた親で人生が決まる。だなんて、それこそ令和の時代である現代日本に限った話でも山ほどある。
一例をあげると、歌舞伎俳優の子供に産まれた「だからこそ」YouTuberになりたいという夢を捨てなくてはいけない事もあるだろう。
他にも自然派ママ(聞いててぶっ飛ばしたくなる名称だな)の元に産まれて「コロナワクチンを打つよりもコロナに罹って自然免疫を付けた方が安全だ」って洗脳されて実際罹って後遺症が残った。なんてこともあるし、
VERY妻を夢見る母親の元に産まれて「子供を有名私学に通わせるセレブママ」という自分の欲望を実現するためだけに我が子をクソみたいな受験戦争に巻き込んで、マウンティングの道具にする母親もいるだろう。
とんでもなく理不尽だし、ヘドが出る程不合理だ。でもそれを「飲み込んでから」が出発地点なんだ。それを飲み込むことが「出来てからこそ」が真のスタートなんだ。
「親ガチャ」という言葉はそれを否定する。それどころか「親ガチャでハズレ引いたから何したって無駄」っていう無気力を一緒に与える。まさに「百害あって一利なし」だ。
例え「親ガチャ」でハズレを引いても努力はしろと。親に何もかも責任を押し付けるんじゃない! まさに「子供じゃあるまいし」って奴で自分のケツ位自分で拭け!
個人的には特にこの「努力の放棄」が一番危険で「諦める癖」がつくと芽吹く芽も出なくなってしまう。それが最も危ない事なんだ。
「親ガチャ」という言葉は「努力の放棄」や「諦める癖」を推進しかさせないし、努力をしない正当性を与えてしまう。俺が「親ガチャ」という言葉を心底嫌う理由の根源は、そこだ。
それに、その「親ガチャ」理論で言えばイーロン・マスクの子供に産まれさえすれば最強究極の勝ち組になれるのか? って話にもなる。
「その通りだ! イーロン・マスクの子供に産まれさえすれば最強究極の勝ち組になれたのに!」と思っていいのは最低限、
自分の子供から「オレは親ガチャで失敗した。お前はハズレ親だ。オレはイーロン・マスクの子供に産まれたかったのに」と言われても殴らずに笑って許せる奴だけだ。
というか「日本人として産まれる」ってだけでも70人に1人っていう「とんでもない幸運」なのだがそれが分からないのか?
紛争地域に産まれたらテロリストに洗脳されて5~6歳で銃を持たされて戦場に行かされ死ぬかもしれない。
北朝鮮に産まれたら将軍様のためにその身をすりつぶさなくてはいけない。産まれた場所が後少し南だったら韓国人として産まれたかもしれないのに。っていう事だってある。
蛇口をひねるだけでそのまま飲めるほど安全な水が飲めて、捨てる程食料があふれていて、電気もネットもあるという恵まれた環境に感謝せずにさらに求めるのか。
人類の欲望に底は無いとは言うが、それこそ「人類よ、これ以上、何を望むのだ?」っていう程の傲慢さだ。いわゆる「足るを知る」って奴を教えた方が良い。
「親ガチャ失敗」とかほざく奴は子供だろうが大人だろうが「黙るまで殴り続ける」くらいの態度でいい。議論する余地なんてないし、する価値も無い。
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