アスファルトが焼ける匂いを嗅ぐと懐かしい気持ちになることに気づきました。中学の水泳の授業を思い出すんだと思います。当時は泳げなかったので毎回雨乞いするぐらい嫌だったんですが、今となってはそれも懐かしさの中に押し込められているんだと思います。もう中学の頃のことなんてよく覚えてないです。思い出せたとしてもそれは言語化された情報でしかなくて、思い出や感情ではないんだと思います。引き出しの奥の方にあって手が届かないだけなのか、普通に忘れているだけなのかは確かめようがありません。どちらにせよそこまで惜しくはないです。今となっては、あの頃も私の人格形成には大事な時期だったよね、ぐらいの認識です。
結局のところ、私は小説が書きたかったのではなく、小説を書いている人になりたかったんだな、と思います。私の創作活動の原動力は承認欲求、何者かになりたいという欲求だったということです。悲観しているわけではありません。そもそも創作の原動力に貴賎はないので。どういう動機で書かれたものであれ、作品はそれ単体で評価されるべきだと思います。それもそれで難しいことだとは思いますが。
振り返れば、創作を通じて何かになろうとしては諦める、を繰り返してきたように思います。小さい頃から絵を描くのが好きでした。なんとなく漫画家になりたいと思っていました。小学生になって自分より絵の上手い友達と関わっていくうちに嫌になって漫画家を目指すのはやめました。中学生になってスマホを買ってもらって、小説をネットに上げるようになりました。そこまで情熱がなかったのと義務感で書いているように思えてきたのと、長ったらしい説明口調のタイトルをつけないとランキングに載らない風潮が嫌になってやめました。歌ってみたを某アプリに投稿したりもしました。べつに上手くなかったのと、いいねされるために他人をいいねするみたいな文化が嫌でやめました。大学生になってパソコンを買ってもらって、DTMを始めました。昔からボカロが好きだったのでIAに歌ってもらいました。パソコンがすぐに重くなるのとミックスマスタリングが面倒すぎるのと歌詞にしたいことが特にないのと、これまた他人からの評価を気にしすぎるのが嫌になってやめました。あとYouTubeやニコニコ動画に上げる以上、動画という形で完成させなければいけないわけですが、そのあたりの作業も面倒でやめました。今は大学の文芸サークル(実質駄弁りサークル)に所属して楽しく過ごしています。年に一本、5000字ぐらい書いて満足しています。