「せりかー」
「んー?」
つむぎが私の肩をぽんぽんと叩いた。私はそれに抜けた声で返事をする。
「せりか、お風呂入ろ?」
「えっ?」
私は驚いてキーボードを叩くのをやめ、隣のつむぎを見る。
「もしかして私、臭かった……?」
私はカーディガンの袖を鼻に当てた。柔軟剤と石けん系の香水のにおいがする。少なくても臭くはない。
においに関して私は特に気を使っている。もし臭かったり変なにおいがすると、そんな自分の隣にいたいと思ってくれる人はなかなかいないと思う。裏を返せば、いいにおいがすると隣にいたいと思ってくれやすくなるはずだ。
同じベッドで寝ているのもあって、私とつむぎは高頻度長時間べったりくっつくから、私は自分のにおいが臭くならないように細心の注意を払っている。
とはいえ完璧な人間はいない。受け入れ難いけれど、お風呂をまだ済ませていない今の私は、臭い可能性が高かった。
「違うよせりか。せりかは臭くない」
「あ、そう?」
私がカーディガンのボタンを外すのをやめた。
「でもどういう意味? ……え?」
もしかして。
「言葉足らずだったね」
つむぎは私の肩に手をちょこんと置いたまま、私の髪を頬で撫でた。
「一緒にお風呂入ろ? せりか」
「う、」
予感は的中した。心臓がどくどくする。
それはつまり、つむぎのからだを、はだかを見る、嫌でも目に入れる、ということになる。それどころか同じ湯船に入る。もちろん裸で。
付き合ってからもうすぐ三ヶ月。私たちは一緒にお風呂に入ったことも「そういうこと」もしたことがない。つまり、お互いがお互いの体を見たことがないのだ。
緊張がほとばしる。
私の二十歳の誕生日での、お酒の一件で、つむぎは酔うととんでもなく積極的に、そして「そういうこと」をしようとしてくることが分かっている。
アルコールは人格を変える毒というより、本性を引き出す毒なのだと思う。そうであるなら、つむぎのこの発言は「他意」があるはずだ。
「せりかは私とお風呂……いや?」
私が分かりやすく動揺していると、つむぎが私に甘く問う。
そんなわけがない。けれど。
「嫌じゃない。嫌じゃないけど、恥ずかしい……」
つむぎの体は見たい。かなり見たい……いやこれはこれでかなり気持ち悪いけれど、逆に私がつむぎに見られるのはすごく恥ずかしい。私は膝と膝を合わせた。
「私はそんなこと……あるかも。かもだけど、せりかのつるつるつやつやな髪、洗うのお手伝いしたいなーって思って」
「え? あっ、そうなんだ」
つむぎは私の髪をすくってすりすりと顔を埋めた。どうやらつむぎのあの発言に「他意」はないらしい。
「……」
最低だ。
私はやっぱり最低で最悪だと思う。いったい私はどれだけ自意識過剰なのだろう。
……少しだけ残念な気も、する。
「……つむぎの髪も、つるつるつやつやだと思うけど」
「人のと自分のとじゃ全く違うよ。それが大好きな人だと、余計に違う」
「うっっ」
大好き。私はその言葉に顔が熱く熱くなる。
この三ヶ月で何度も聞いたその言葉の威力はどこまでも流れていく星のように、未だ衰えることを知らない。
「…………つむぎがそんなに言うなら、一緒に入る」
「うん、ありがとう。せりかの綺麗な髪もっと綺麗にする!」
つむぎが無邪気にはしゃいで、えくぼを作った。つむぎは弾む足取りで、そのまま脱衣所へふわふわ行ってしまった。
「はあ……」
私は外しかけたままだったボタンを外しきって、カーディガンを脱ぐ。
緊張する。
私はパソコンをゆっくり閉じて、意を決して脱衣所へと向かった。
脱衣所をおそるおそる覗くと、つむぎはまだ服を脱いでいなかった。中に入るなり、つむぎは私に抱きつく。
「わっ」
「せりか。せりかはさ……」
「え、うん」
つむぎの拘束が強くなる。予感がして、私はつむぎを抱きしめ返した。
「……私、せりかのにおい大好き」
「えっ」
つむぎは少し言い淀んでから、話を変えた。
つむぎの発言は突然すぎるけれど、しっかり気にしているだけあってすごく嬉しかった。
「同じ柔軟剤、同じシャンプー、同じボディソープ、同じヘアオイルなのに、せりかはせりかのいいにおいがしてすごく落ち着くし、安心する」
つむぎは私のブラウスの肩におでこを当てた。私は心が弾んで、口角が上がった。
「そういってくれると、すごい嬉しい」
「でも、私嫌なにおいがあって」
「え……?」
「その、せりかの香水」
「そうなの?」
つむぎは私のブラウスの袖を触る。私は肩を落とした。
けっこう気に入っていたのに。同棲している好きな人に嫌と言われたら、使うのをやめるしか――。
「その石けんのにおいの中にちょっとだけある、バニラ? のアクセントがすごくよくって、その……」
今度はつむぎによってその香水が褒められた。私は背筋をいつも通りに戻す。
「ん? 嫌なにおいなのに、すごくいいの?」
「だって……。五年前とまた違って大人っぽくて、甘くて、くらくらして、すごい……」
「そそられる」
「ゔぇっっ」
私はつむぎのささやきで、顔面が爆発した。
「だから私、ただでさえせりかのにおいでおかしくなってしまいそうなのに、せりかの裸を見たら、我慢、できなくなっちゃうかも」
「つ、つむぎ……」
私は自意識過剰では全くなかった。暑すぎて全身の穴という穴から血が吹き出そう。
つむぎはあまりに「他意」がありすぎるし、あまりに正直だと思う。
「だからせりか、その…………」
「私と、することになってもだいしょうぶ……?」
「お、おおお風呂の中ではだめ!」
「わっ」
私はつむぎの肩を腕いっぱいに押す。心に小さくあったよくない気持ちが、存在感を増していく。
「でも、上がった後、あの、その……」
「ベッドでなら…………いいよ」
つづく?