「愛別離苦 或いは父親に置いて行かれた男の話ほか」
https://kakuyomu.jp/works/16818093079563910885を書きました。
「雪山奇談」
https://kakuyomu.jp/works/16818093078870371412の続きみたいな話ですね。
本作は僧侶と羅刹ではなく、終盤に出てきた白い男と刃のような男の話です。
天界に生まれたことを幸せだと思い、また無自覚に天以外の六道の住人を下に見ている天人(仏教定義で「神」「神の子」とも言う)の白い男(白雲天子)が、転生した父親を人間から再転生させて天人に戻したいという考えを抱いたのが話の発端です。
自分の仕えている天界の皇帝の帝釈天にちょっと意地悪なやり方で考えを糺されたり、じゃあこれから自分はどう考えていけばいいのか悩んだ矢先に阿修羅の一人である刃のような男(四刃阿修羅)との対話で少し希望を見出したりします。
話のベースになってるのは大乗仏教(非常にゆるくてもソースと称して良いならチベット仏教)なんですが、主に帝釈天の人物設定においてちょくちょく上座部仏教の成分も入ってます。
きっかけは「サンユッタ・ニカーヤ」の日本語訳上下巻「ブッダ 神々との対話」「ブッダ 悪魔との対話」を読んだ事なんですが、下巻の「悪魔との対話」に出てくる帝釈天がそれまでのフワッとした、「雷撃を操る天界の王で阿修羅王と戦ってる」というイメージに加えて未知の挙動(えっ、地上と関わる神のトップがお釈迦様の直弟子~!? お釈迦様が彼のことを只管語っている上にジャータカっていう公認外伝みたいなものでは前世以前からの仲~!? しかもリグ・ヴェーダのインドラ神からお釈迦様が(教団がかもしれないけど)「意図的に変えた」っぽい要素がある!?)を取っていたので、私は衝撃のあまり、この新しく知った方の要素に飛びついてしまいまして……なので「愛別離苦」に出てくる彼はそこから色々拗らせた結果の産物です。
一部ソースが残念ながら仏教百科系のウェブサイトのみ((
https://www.wisdomlib.org/definition/suja)(
https://www.wisdomlib.org/buddhism/book/the-great-chronicle-of-buddhas/d/doc364639.html)等)で、紙媒体で確認できておりませんが。(日本語でも読める上座部仏教経典全訳のどれかにある筈ですが、価格が高くてどうにも……)
そんなわけで上記サイトを見てこっちの方が推せるなって感じちゃったので、「帝釈天が舎脂夫人に対しその父親の面子を潰して強引に夫婦となったことで神々と阿修羅の戦いが始まった」という筋立てにはなっておりません。初期経典での帝釈天と阿修羅王の争いの原因はそもそもお互い気が合わず忉利天の支配権(神々の王の位は世襲ではない)を巡ってのものだそうです。
(ただまあ、上記サイトで引用されてる経典はだいぶ古い、所謂仏教ワールドの初期作品みたいなもので、人によっては続編やリメイク後の話もとい後々の経典の方が刺さることだって当然ありうると思ってます。)
こんな感じで「帝釈天面白いやつだなトーク」が結構私の中で盛り上がっているので気が向いたらまたなにか書くかもしれません。お釈迦様と彼の関係とか見てると凄い面白いので……
よろしければお付き合いいただけると幸いです。