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久々に拝読&「哲学魔王」第24話 公開、あと一人称文の平文について

 こんにちは、たてごと♪ です。
 ご無沙汰しています、が標準の挨拶となってまいりました(

 そして、ちょっとだけ元気が出たからと、皆さんの作品の一部をすっごい久しぶりに拝読させていただきまして。
 本当に久々なので、楽しいというか嬉しいというか妙に感動したりもしましたが、少々はしゃぎすぎたのか、どうもまた具合が(
 あれです、走り慣れてない状態で10kmくらい全力疾走した感じのあの具合悪さですね……ぁぅぅ養生します、、、、


 『哲学魔王と迷える天使』、第24話『呪縛 ゠ 根拠を示さずに禁じてよいか』を公開しました。
 「性欲抑制法」「幸福感と倒錯」「欲の忌避の是非」「恥の機序」あたりと、あとおまけで「前提が気質に及ぼす影響」なんかにも持論垂れ流しです。
 普段あまり触れられない部類の話題と思いますが、あんまり何も考えないでいても色々歪んでくるかとも思いますので、ちょっと個々で振り返られてもいいのかなと。
 是非ご一考を。


 ところで、僕のこの作品は平文の量がやたら多くて、それも主人公の思考がひたすら続くというタイプである事で有名(?)なわけですが。
 僕の文章にではなく一般的な話として、「一人称でのひとつのシーンでやたら思考が走ってるのは不自然」とのご意見をお出しになってる方が、どうもいらっしゃるようで。

 これなんですけどね、まず一人称の文章には、必ずしも「リアルタイムの実況でなければならない」というルールは無いはずで。
 たとえば、後から自身をふり返る「自叙」も立派な一人称で、当然これはリアルタイムではないですね。 
 だから当人に知り得ない事柄でもなければ、何がどれだけ並んでても、時系列を多少無視しても、特に不自然ではないんじゃないか、というのが一つ。

 そして、これ理解されづらいかもなんですが、少なくとも僕の場合だと実生活上で、目にした何かについて考えるとあれくらいの思考がバーッて走るんですよ。
 僕的にはあの量の思考は、リアルタイムでも全然不自然じゃないんですね。
 まあ面倒くさいことに、その思考は言語で処理されてるわけじゃないから、すぐ言葉で説明しろと要求されてもできない、っていうのが理解しがたさに拍車を掛けてるのかもしらんですけれども……HENTAIなんすかねワシ(

 まあ「この説明いつ終わんの」と感じさせてしまう文章でしょうし、物語がサクサク進まないという弊害もあるんですが、そもそも哲学を追究していくタイプのお話なので、物語だけ進行されても困る、というのがあるんですよ。
 だから意図してこの形にしてるんですね。
 まあ読者が付きづらいだろうな、って予想はもともと公開前からついてましたし、別に売るわけじゃないからって割り切ってもいたんですが、それでも何人かの方々にはご清覧いただけているようで。
 感謝です本当に。


 あ、「普段からそんな情報量の思考してて大丈夫なの?」って質問がもしありましたら、「だいじょばないです」とご回答しておきま(
 こんな頭してるからビョーキになるんじゃないかな、、

 ではおやすみなさい。

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