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挑戦に一区切り

 とかいうとなんだか大層なことを成し遂げた後みたいですが、要するに自分の力に限界を感じてそろそろ引き上げようかなという感じです。短歌難しいよほんと……。
 短歌を詠む中で、詩とはなんだろうな、と考え込むこともありました。再確認と言った方がいいかもしれない。一応は、詩とはこれである、という考えはあったので。

 詩とは、抽象的だが意味はあり、しかし一目で理解できるようにはできていないもの。

 某世界的に有名な作家も似たようなことを仰っていたような気がします。抽象性のないものは詩ではない。もちろんこれは歌詞にも同じことが言えます。邦楽の歌詞の最強は90年代後半のスピッツとCoccoだと思う(最近のスピッツとCoccoももちろん好きです)。意味がわかるようにするなら、それは詩である必要はありません。作文でも書けばいいんです。
 カクヨムにある短歌作品は最近のものをいくらか拝見しましたが、そういう観点でははっきり言って、私はその多くを詩とは認められませんでした。恋愛がテーマの短歌もおおむね嫌いです。まぁ私の短歌よりその方が遥かに評価高いんですけどね。

 ただ一人だけ、桜枝 巧さん。「短歌「二十歳前日」ほか」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054885039478
 こちらの作品は紛う方なき詩だった。フォローと★3入れました。別の作品もそのうち拝見したい。

 余談ですが「孤独とは」で始まる短歌を15首詠みました。これはスピッツの「恋は夕暮れ」という歌の歌詞から着想を得ています。「恋は昨日よりも美しい夕暮れ 恋は待ちきれず咲き急ぐ桜 恋はささやかな悪魔への祈り 恋は迷わずに飲む不幸の薬」。本当に秀逸です。スピッツの歌詞は国宝。

 それぞれの詩に自分なりの思い入れはあるのですが、あえて解説を書くのはやめました。
 自分の詩の意味をひけらかすのは、ださい。スピッツの草野マサムネ氏も似たようなことを仰っていました。言うなればスベったギャグを解説して、本当は面白いんだよ、理解できなかった君が悪いんだ、と言い訳するようなものです。
 おっと、なんでウケなかったことが前提なんだ。自信のなさがこういうところに現れる。反省。

 なにを書こうとしたのかわからなくなってきたので、「孤独になりたかった人のために」をテーマにした経緯を。
 孤独をテーマにしたのは自分が常々孤独という考え方、生き方に対して思うことがあったのが第一の理由です。ではなぜ中二を卒業して久しいのに未だ孤独について考え込んでしまうのかというと、身近に人間関係で悩む人がいたのが原因な気がします。
 その人は悪く言えば八方美人でした。本当は独りの時間を大事にしたいのに、人に誘われれば断れない。不幸にも、その人は人好きのする容姿と愛嬌と要領のよさがありました。そのせいでいつも忙しく、猫を被ることに疲れ切っているように見えました。
 断ればいいじゃん、独りになればいいじゃん、と私は思います。まぁ否応なく孤独で、しかもそれを苦に思わない私だからそんな風に言えるんですが。その人も、できるのならそうしていたでしょう。でもできなかった。なぜできなかったのかを私が知る由はありません。
 孤独は、楽です。
 でも「人は一人じゃ生きていけない」と言う人がいます。若く溌剌とした人や、人生のことを酸いも甘いも噛み締めた老人の形を取って、彼らは私達の前に現れます。だけれども、これだけは声を大にしていいたい。

 人は独りでも生きていける。
 生きていきにくいかもしれないけれど。

 そういうと、それじゃ困ったときに誰も助けれくれないよ、と彼らは私を諭そうとします。おう、結局は打算かい。あと今時はお金さえ出せば助けてくれるサービスも充実しているので、それは通らん。
 孤独になりたかったけど孤独になれなかった人のために。私は短歌を通して、自分が感じた孤独を表現したかったのだと思います。
 人が、人と人とを繋ぐうすっぺらいガラスの板を覗き込んで俯く中、独りで前を向き、目を見開いて背筋を伸ばす。誰にも悟られず、誰にも主張せず、静かに孤独でいること。

 こういう悶々とした思いも含めて詩に詠めればよかったんですが、そこまでの力量はなかった……。
 またいつか、もっとクオリティの高い詩を詠めればいいなぁと思いつつ、短歌への挑戦をひとまず終えたいと思います。

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