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孤独とは

 タイトルくっさ(言われる前に

 不定期更新なりに、せめて隔週で最新話を投稿しようと心がけてきた長編ですが、三週が空いた現在でもあんまり書けていません。
 別に言い訳する気も必要もないとは思いますが、ただ一つだけなにか言ってもいいのなら、休日に仕事がらみの飲み会とかやるような社会は一秒一瞬でも早く滅べってことくらいですね。社会不適合者? 知っとるがな。

 さて短歌を投稿していましたが、さすがに一エピソードごとに一首は、それなりに場数を踏んだ歌人でもないと無理だと悟ったので、投稿し直しました。
 全削除からの再投稿をしたため応援がリセットされてしまったのは申し訳ない。応援くださった方、ありがとうございました。

 ついでに少しだけ、求められてもいないのに語ります。
 短歌を詠むにあたって、なにを題材にするか迷いました。クソみたいな日常を送っている私には短歌で表現したい感情や情景なんて一つもないからです。
 そこで思いついたのが、孤独というテーマでした。なので、もちろん恋愛の歌なんか一つもありません。色恋抜きの短歌とか意外と少ないんじゃないかな。

 昨今、なんとなく孤独や孤高という言葉が持ち上げられている気がします。なんだかそんなニュース記事を見た気もするし。
 個性の時代、SNS疲れみたいなキーワードからも見えるとおり、人と同じことを美徳とするような日本人的な価値観からの脱却が進みつつあります。個性の時代は古いか。まぁ善し悪しもあるので、完全に排除することもないとは思いますが。
 群れるのはださいし疲れる。孤独はかっこいい。一般的とはいえませんが、そういう生き方もあるよ、という風に認められつつあるのではないでしょうか。

 ただマジのガチで孤独な人間に言わせれば、孤独は惨めです。出来損ないと言ってもいい。
 そもそも人間は群れを作るようにできていて(だからこそ人間社会がある)、群れに加われない弱者は淘汰される対象です。
 その現実を知らない、あるいは気づかない振りをしながら孤独を正当化するのは、孤独よりも哀れなものです。
 今は多様な人生が認められる時代なので、孤独もまた認められるべきです。ただし孤独な人間は、間違ってもそれをかっこいいと思ってはいけない。
 そして誰よりも惨めなままで、それでもいいと諦めなければならないのです。
 そういうわけで記事タイトルに戻りますが、孤独とはなにか? と聞かれれば、私は諦観であると答えます。

 ちゃんと整理したらエッセイジャンルに投稿できるくらいの長さになりそうですが、そろそろ本当に惨めになってきたのでこの辺でやめときます。この駄文を書く時間を小説に当てればよかったのに……。
 猫の日短編を書くつもりなので、ブルーティッシュエッジの更新は再来週くらいになるかもしれません。それでは。

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