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真摯さ

 突然ですが、最近よく見かける「あなたの小説を読ませてください!」「勉強させてください!」的な自主企画とか、ツイッターの「#読まれたい人rt」とか、あの類がクッソ嫌いです。

 別にですね、勉強したいって気持ちを否定したいわけじゃないんですよ。私は勉強とか学習とかいうものは掃き溜めにぶち込んで蓋したいくらい嫌いですが、真面目な人のことは嫌いどころか尊敬します。

 ですが、「読みたい」「小説の書き方を勉強」「レビューの書き方の勉強」って、それ、自分でできますよね?
 企画を立ち上げて仁王立ちして胸張って宣言するまでもなく、粛々と実行できますよね?
 読みたかったら自分で探して読み漁ってレビューでも論評でも勝手にやってろ。

 と書きつつ、別に彼らが「読みたい」「勉強したい」という思いから企画を立ち上げたなんて思ってません。
 要するに宣伝なんですよね。

自分から感想と★をあげる⇒相手のお返しを待つ

 よりも、

企画を立ち上げる⇒相手に参加させる⇒依頼を受けて感想と★をあげる

 の方が、よりお返し評価やレビューをもらえる可能性が高まるわけです。
 「読みたい」「勉強したい」とかカマトトぶりやがって。
 そういう態度が気に食わない。

 しかし、それが腹立たしいかというと、そうでもない。
 宣伝するのは大事なことだと、今や商業作家さんも表明するほどです。
 面白い作品が埋もれるのは残念ですから、やり方はともかく、読まれるための努力をされるのは良いことです。
 心底ムカつくのは、そこに条件がある場合(大多数)です。

 「応募が多いので打ち切ります」
 「先着○名までです」

 ならまだしも。

 「読まないかもしれません」
 「一話だけ読みます」
 「長すぎるのはちょっと」

 ぶっとばすぞ?
 なに楽しようとしてんの?
 勉強とかお題目に掲げながら、苦手なものは途中で読むのやめる、このジャンルは募集しない、とか自分で書いてておかしいと思わなかったの?

 「努力したくない、でも私の小説を読んで! 評価して!」っていうのが透けて見えて反吐が出ます。
 フォロ爆、★爆の方が、まだ潔くてマシ。
 やるなら徹底的にやれ。
 少しの頑張りともいえない頑張りで自分に言い訳しながら、楽して評価を得たいなんて、どれだけ甘える気なのか。
 そんなところに割く時間があるなら文章作法の一つでもおぼえるがいい。
 段落始め一文字スペースすらできてないくせに「読んで」とかおこがましいわ。

 そういうのは、真摯じゃない。

 という、どうでもいい愚痴でした。
 だからといって、そういう人達にわざわざ噛み付く気もないですが。
 まぁあえてもう一つ言うとしたら、本心から勉強したいなら素人のネット小説読んでないで、まともな書籍でやってろってことくらいですかね。

 最後に、これはあくまで個人的な印象であって、人の価値を貶める意図がないことをご了承ください。私の性格が非常に残念であることを暴露しただけ、ということで。

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