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『先生と銀之助』感想

※現代ドラマ小説『先生と銀之助』(著:南多 鏡)の感想。
 ネタバレありなので、読んでいない人は絶対に見ないこと。








 第一印象は、この作者さんは梨木香歩の『家守綺譚』を読んだことがあるのでは、ということ。なんとなく雰囲気が似ているような気がしました。
 いや、創作する人にとって「~に似てる」なんてのは侮蔑以外の何物でもないとは知っています。あくまで個人の印象ということで。要するに、これは私の大好きなタイプの作品だと最初からわかっていたということです。
 主人公は話が進むにつれて陰が見えてくるものの、基本的には愛嬌のある好人物。個人的にすごく気に入ったのは、犬であるところの銀之助が吠えたとき当然のように「喋った」と表現したところでした。こういう、ただの一場面で人柄を端的に表現する技術は真似したい。
 さて、表題にあって目を引く銀之助、途中で擬人化されたのは正直面食らいました。しかも嫌な言い方をすれば、「ケモミミのじゃロリ」。ラノベ好きが多いだろうカクヨム読者対策なのだろうかと邪推しましたが、最後まで読んで正体を知れば成程納得という具合です。死を知らず、孤独を知らず、それでも彼女は初めて主人公に会ったのち、そのあとをついて家に侵入していきました。レビューに書いたとおり、その心情を思うと込み上げてくるものがあります。
 主人公の凪(なぎ)の亡き恋人が那美(なみ)であり、彼女との壮絶なやり取りを読んだところで、これが日本神話を題材とした物語だと気づきました。その方面にもっと知識があればより楽しめたのではないかと口惜しい思いはありつつ、逆に浅い知識だから新鮮だったような気もする。

 しかし思うのは、凪との出会いをせずに銀之助が死と孤独の意味を知ってしまっていたら、彼女は最後に凪に別れを告げたように自ら消えてしまっていたのでしょう。不完全にせよ太陽神たる彼女の死は日本、もしくは世界にとっての大事件に違いありません。それが凪との出会いにより、銀之助らしい天照大神になるという新たな答えを得たわけです。
 作中、銀之助に対して玉城が、貴方に奇跡が扱えるわけがない、という侮蔑を投げかけますが、二人の出会いこそ銀之助が世界に対して起こした最初の奇跡だったんだなと胸が熱くなる思いでした。

 読了したのが少し前なので思い出しながらの書き散らしになりましたが、カクヨムで最初に読んだのがこの小説で本当に良かった。そんな気分です。

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