実際の雑貨屋さんには、なくしたもの、壊したもの、捨てたものだけがあるわけじゃない。たまに古着とか売ってるところあるから、それはなんとも言えないけれど。普通は、というかメインは売るために作られたもの、だと思う。
売れ残りってきっとあるよね。
人が見つけられなかった、見逃しちゃうものってあるんだよ。
他にも存在には気づかれているけれど、手に取られないもの、買われないもの、気づいた人に行動を起こしてもらえないもの、がある。
私 は、なくしたものの存在には気づいてたり、なかったり。気づいてるものに関しては探したり、探さなかったり。どちらにしろ見つけられないものがあるはず。壊したものとか捨てたものの存在はもちろん覚えているはずだ。全てにおいて言えることは 私 はそのものたちを手放したということ。
これらを自分じゃない誰かが手に入れたとする。またそこで、新しい何かが始まるけれど、 私 が再び手にすることに意味があるのだとよるは思う。だって、くまさんとかやっぱり一度惹かれたものにもう一度惹かれてる。 私 は多分、大切にしていたものを再び大切にすることができる。 私 も捨てられちゃったけれど、別に死んだわけじゃない。
本当の 私 が物語を進行しているのではなくて、 私 の一部、もしくは本体の私だけれどただの勘違いだとか。そこは何でもいいけれど、本当に死んだわけじゃない。
この雑貨屋さんにあったものだって、なくされたり、壊されたり、捨てられたりしたものだけれど、そこでそのものたちの物語が終わるわけじゃない。人生が終わるわけじゃない。
これから 私 は、再びこの雑貨屋さんにあるものたちを手に取り、大切にし、一緒に暮らしていくのだと思う。
なんてね、わっかんないや