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河津桜

 ずいぶんと以前から訪ねてみたいと思っていたのが「河津桜」で有名な静岡県河津町である。働いていた頃はともかく、退職してからしばらく経っているのにぐずぐずと行けていないのはなぜ?と自分でも思うが、「コロナ」以外に思いつく理由は二つある。
 一つは河津という地が微妙に「遠い」のだ。東京から行くには小田原、熱海を通り越して行かねばならない。湯河原、熱海は日本の職場旅行バブルがはじけた後も個人的には屡々出掛けていった事もあり、なじみ深い土地である。場所としても大変素晴らしいところで日帰り温泉や海の景色、海産物など様々なお楽しみもある。・・・といっても、東京からは熱海まででもそこそこ遠い。まして河津となると熱海から更に一時間ほど先にあり、日帰りで訪問するにはちょっときつい感じがする。日光ならば日帰りで良いが、中禅寺湖とか鬼怒川温泉まで足を伸ばすとちょっと日帰りはきついかな、というのと同じ感覚である。
 もう一つの理由は「花粉」である。町の一番の名物である河津桜が見頃を迎える時期はちょうど花粉の飛散開始時期と重なる。花粉という奴はどこかに出掛けようという気を萎えさせるに十分な厄災である。この厄災を厚生労働省が林野庁と共に放置しているのは極めてけしからん、と思うのは僕だけだろうか?林野庁は日本国民のかなりの部分を病気にしているわけでなぜ傷害罪で起訴されないのか誠に不思議である。なろうことであれば全国の患者と共にクラスアクションを起こしたいくらいだ。或いは、もしかして日本には花粉産業というのがあって、マスク業者やら製薬メーカーなどと行政が結託しているのか?
 しかし、翻って、もし花粉がなくなれば、観光を始めレジャー産業はずっと潤うに違いない。航空・鉄道・ホテルなどの産業は国土交通省を糾合して杉・檜の植林割合を今の十分の一にすべく働きかけていただきたい。だいたい戦後まもなく住宅の建築のために杉を植林したのは話として分らないでもないが、今なお杉・檜に拘って植える理由が分らない。そもそも杉や檜は根が浅く、山肌を守るには不適切な植物であるのはよく知られた事実である。花粉が少ない杉なんて下らないものを引っ張り出してする言い訳は聞きたくも無い。いつまでも馬鹿なことを言っているのはやめてほしいものだ。
 こんな身近な問題でさえ片付けられないほど今の政治や行政はだめである。永らく花粉症患者である僕としては、東京都議会選挙などでも花粉対策を公約にしている候補者に票を入れたいほどであるのだが、残念ながら今のところはそんな候補者さえいない。
 そんな僕だけど、今年ついに花粉を厭わず、2月22日、なぜか最近突如登場した「猫の日」に河津へと赴いたのである。もう一つ文句を言わせていただければ突然爆誕(?)した「2月22日が猫の日」というのは釈然としない。2が並べば、その形状からしてアヒルとか白鳥の日であるべきで、にゃんにゃんと猫が鳴くから2が並べば猫の日などというできの悪い語呂合わせには断然反対である。どうしても猫の日を作りたいならニャーとなく以上28月28日にすべきである。作れるなら作ってみろ。
 だいたい世の中には「○の日」が多すぎる。だから猫自体は好きですけど、にゃんにゃんだから猫の日などという馬鹿な話には与しない、絶対に。猫だって、もちろんそっぽを向くであろう。なんせ猫なのだから。

 それはともかくとして今年河津に行く気になったその理由はやはり大きな病気にかかったことであろう。まだ行ったことの無い場所に、生きているあいだに行きたいなという気持ちは僕にだって少しある。海外ならハワイとか南アメリカ、国内であれば伊勢だとか金沢、北海道あたり。その中で最も近いのが河津であった。河津にさえ行けなければ伊勢や北海道、それどころかハワイなど決して行くことは無いであろう。
 さて、その河津。東京から行くには?、と調べてみると「踊り子号」が伊豆急に乗り入れて一本で行けるらしく、その他には熱海まで新幹線でというのが速い行き方らしい事が分った。熱海とか湯河原に行くときは東海道線の普通を使う代わりにグリーン車に乗るのが僕の仕方でグリーン車に乗ると途端に旅行感が増す。だが新幹線や特急を使うとどうも料金が高くつく。グリーン車料金くらいなら喜んで払うが、特急料金を払うほどの距離でもないように思える。
 取りあえず朝早く出ればある程度河津で過ごす時間があるだろうと思い、朝6時過ぎに家を出て品川からまず平塚行の電車に乗った。平塚で乗り換え、小田原行、小田原で乗り換えて熱海行、となったのは品川で熱海行に乗り遅れたからであるが、おかげでグリーン車に乗るというのは無理になった。いや・・・無理ではないがなにも平塚までグリーン車で行く必要はないし、平塚から小田原も短すぎる。まして小田原から熱海までの電車にはグリーン車自体がない。と言うわけでとどのつまり最初から最後まで普通列車に乗り継いで河津まで行くことになった。最初の電車も横浜で座ることが出来たので、まあ、だいたいは座っていくことが出来たのは勿怪の幸いである。一時間ちょっと経つたびに乗り換えつつ、睡眠不足を補うために途中で居眠りしながら10時過ぎには河津に到着した。電車は満員と言うほどではないが立ち席が出るほどに混雑している感じであったが河津駅のホームは人で溢れていた。理由は接触型ICの使える出口が一つしかないからである。今時・・・。
 この出口を通る際にいきなり横入りしてきた小柄なおばさん(最近のおばさんのできは悪い)の背中を睨み付けながら改札を潜りぬけるとすぐに駅前にたくさんの花を咲かせた桜が出迎えてくれ、行列とルール無視のおばさんに少しささくれ立った心を癒やしてくれた。
 まずは河津桜の原木があるという個人宅の方へと足を向けた。あたりでは桜祭りと題して地元の人たちが車の誘導やら人の案内などをしており、そこら中の原っぱを目一杯使って駐車場が作られている。全て一日1000円均一で、伊豆半島の小さな町の駐車場もこの季節は東京の郊外の値段になっている。
 「河津桜原木」の案内板はあったのだが、二つに分かれた道のどちら行けと指しているのか分らないので町の住人らしい日焼けした農夫のような案内人に尋ねると、来宮神社(熱海のものとは別の川津来宮神社、別名杉桙別命神社)を通って行くのが良いという。そのアドバイスに従って神社へと向かった。この社は大楠で知られているらしく、神社の奥にあるものだけではなく、社の内に何本かの古木がしっかりと生えている。静岡にある来宮神社の謂れはよく分らないらしいが、古事記にある「木の国」(今の紀伊)と同じく静岡も「木の国」であった、故の「木」が転じて来宮になったのではないか、と思わせる(という説は全く聞いたことは無いけれど)。
 神社の脇には豊富な水が流れていて、地方の町に来るたびに日本には本当に豊富に水があると感心する。(先般訪れた日光も社のうちは雪解け水で溢れるほどであった)神社にお賽銭を奉納し、お参りしてから原木のある場所へと向かった。

 原木の周りにも小さな人だかりができていた。河津桜の由来はこの原木が河津川の藪の中で家の主人によって発見されたことは有名な話である。大島桜と寒緋桜の自然交配種とされるが、この河津の地で自然に、まして寒緋桜という台湾種の桜が大島桜と交配したということはまさに奇跡的なことではあるまいか?しかしその親である寒緋桜はそもそもどこに自生していたのであろうか。まさか台湾から花粉が飛んできたわけではあるまい。そう考えると謎は多い。

 いずれにしろ、その奇跡的な交配は河津という町に大きな富をもたらしたと言って差し支えあるまい。僅か7000人ほどの町に一日2万人を超える客が、この桜一本のためにやってくるのである。町にある桜の実数は850本あると言うが、その全てはこの桜から接ぎ木などで増殖したもので、もとはこの一本である。日本中のソメイヨシノの親が同じ一本の桜の接ぎ木で出来ているのと比べるとスケールは小さく思えるが、それでも十分に美しい並木を作っているし、最近はこの河津桜が都内の各所で見られるようになってきており年々その数は増えているようだ。もしかしたらそのうち都内の観桜は河津桜で一回、染井吉野で一回というダブルヘッダーになるのかもしれない。

 原木を見終え、近くの河津観光交流館で「桜まんじゅう450円也」を買い求めてから元の道を駅に戻り、川沿いの道を歩くことにした(後で分ったのだが、原木のある場所から川沿いの道を通った方が効率的である)。駅の近くはお昼ともなると東京からの電車もたくさん到着し、バスや自家用車で訪れた人々も含め、人々が溢れかえっていた。河津川沿いに海の方向に下って歩くと程なく太平洋が望める通りに出る。そこで橋を渡り元の方向に戻る。さしたる距離はない。
 こんなものか、と思いながら近くにある河津八幡神社に足を向けた。ここは去年の大河ドラマでも紹介された曾我兄弟にゆかりのある神社で、父親の河津三郎が住んでいたのだそうだ。その河津三郎が相撲の名手で相撲の決まり手の一つである「河津がけ」というのはこの男の考案したものだったらしい。おかげでなんだか一つ賢くなったような気がしつつ、元の川沿いに戻ると、川の上流に向かってまだ桜並木は続いている。時間がまだたっぷりあるので、川沿いの道を歩き始め、ところどころで写真を撮っていたが、どこまで行っても桜並木は尽きない。ところどころに菜の花があしらってあって、春の装いを感じさせてくれるが、ともかく桜一本やりで道は続いていき、その下を歩く人の数も尽きない。
 その人たちと言えば、日本人のみならず中国語、スペイン語、英語、ドイツ語、何処の言葉かさっぱりわからない言語を喋っている。最近、東京でも頓に何処の言葉か分らない言葉を喋る人々が増えている気がする。ヨーロッパ言語と中国語、韓国語は大体区別がつくのだが、それ以外の地域からやってきた人が増えているようだ。その増殖した人々は東京のみならず河津まで出掛けてくるのである。世界は狭くなったものだ。
 そんなことを思いながら歩き続けたが行けども行けども、桜も、そして人も尽きない。川沿いにある出店も絶えない。出店の数を増やすために桜を植えたのではないかと思うほどである。後で知ったのだが、川沿いに桜を植えるのはいろいろな問題があって現在は禁止されているらしいので、恐らくこれは僕の邪推に過ぎない。
 それは邪推であったが、出店が河津とさっぱり関係のないものまで広がっているのはどんなものであろう?とりわけ、食べ物は東北・沖縄を通り越して韓国・トルコまで及んでいた。わさび丼とか柑橘類、あるいは近隣の川で捕らえたイワナくらいなら出店も地域のゆかりと思うが、せいぜい浜松のうなぎぐらいまでが圏内であろう。世界の物産展であるまいに。まあ、日本人というのはそうしたものに許容度が高いのだろうけど、だんだんとフォーカスが緩くなり純度が落ちるほど、名物は人を集められなくなる。桜は様々な場所に流出し、この地には別の場所から利益を求めてゆかりのない企業がやってくる。そんな状況は少し心配である。
 ただ、そんな懸念や観光客の喧噪をよそに咲く桜は美しい。ソメイヨシノのような白く、淡く、少し冷たく感じられる色でもあるが、写真にあるとおり河津桜はもう少し温度が高く、暖かな色である。とりわけ、近寄ったとき五枚の花びらが重なり合った部分が形良く濃い星の形を作るのが美しい。遠ざけてみれば雲を背にすれば白く、陽が注げば暖かなピンクに染まり、菜の花と合さればあでやかな春の色になる。
 幸いにして気温がさほど高くないせいか花粉に苦しめられることもなく、その上十分に桜は見ることができたので、途中の豊泉橋で折り返し駅の方角に戻った。この地は桜以外にも温泉もあるし、海も山も川や滝などの美しい自然もあるのだけど、桜の季節にはそうしたものは背後に押しやられてしまっていて少し残念だが、日帰りの分際ではそんなものを惜しんでいる余裕はないわけで、帰りの電車にさっさと乗ることにした。四人掛けの座席の窓際にゆったりと座って外を眺めていたが、考えることは皆同じようで、出発間際になると人がどんどんと乗ってきた。そのうちに僕の座っていた席にも老夫婦が「いいですか?」と尋ねて座った。老夫婦、と書いたがよく考えれば僕と同い年くらいである。その現実を噛みしめつつ僕は目を瞑る。しばらくすると電車はゆっくりと駅を離れて僕らを日常へと再び連れ去っていこうとしている。

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