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映画「ドライブマイカー」とワールドカップ“日本ドイツ戦”

 日本がサウジアラビアであったなら11月25日は「国民の休日」になったであろう。なにせあのドイツに勝った、それも逆転勝利した翌日だから。日本が逆転勝利される試合は何度も見たが、逆転勝利は画期的だった。勝ったこと以上に「逆転したこと」に意味がある、そう思う。グループEの参加国はドイツ、スペイン、コスタリカと日本。決勝リーグに進むためにはコスタリカに勝って、ドイツ・スペインとは引き分けで勝ち点を貰い、ドイツとスペインが潰し合って、二位で予選グループを突破というのが大方の希望で、僕だってそう思っていた。そう思いながら試合を見るのはなかなか辛い物がある。

 その日、昼間にラグビー早慶戦で早稲田が前半に10対0で負けているのを見つつ、外出しようかどうか躊躇っていた。応援しているチームが負けているとき、その試合を最後まで見ないでいると大抵はそのまま負けている。僕が試合を見ようと見まいと勝ち負けに関係はないはずなのだが、もしかしたらバタフライエフェクトがそこに関係しているのではないか、などと要らぬ妄想してしまう。外出を堪えて最後まで見ていたら早稲田はなんとか逆転して19対13で勝利してくれたが慶応相手にこの点差では、明治戦、大学選手権で勝ったりトップに行ったりするのは相当難しいような気がする。これは何も慶応を貶しているのではなく、ラグビーは実力が相当はっきりと試合結果に反映されるので推測がつきやすいだけだ。この試合を見た限りにおいて、早稲田はこのままでは明治に負けるだろうし、慶応は帝京戦に相当大差をつけられる、との推測が成り立つ。もちろん、これからの対策次第でその差は縮まったり、場合によっては逆の結果になったりすることもあるのだけど。でも大学ラグビーは良い。その背景は真っ白で素直に試合に没入できる。
 それに反してカタールで行われているワールドカップは相も変わらず主催者側の金の亡者的行いがオリンピックと同様の批判を浴びている。そればかりか、スタジアム建設に関わって死者が出ている(そういえば東京の国立競技場でもそんな話が出た)ということで、スポーツなら平和だからなんでもオーケーという風潮を戒めているが、金の亡者たちはそんなことは気にしない。その上大抵の観客はそうした背景を無視するし、場合によってはせっかくのお祭り騒ぎに水を差されたと不快に思っているのかもしれない。
 オリンピックは観るのを控えたが、ワールドカップはなかなか難しい。今のところは日本が脱落したらやめようかと思っているくらいのだらしないスタンスである。それにしてもFIFAとか国際オリンピック連盟とか、こうした組織はなんとかならない物か?せめてスポーツくらい虚心坦懐に楽しませて欲しい。それは批判者ではなく主催者の責任である。
 勝ち目もないし、批判も多い大会でもあるし、試合は夜十時からだし(大凡就寝時間でもある)どうしようかなぁと思いながらケーブルテレビの番組表を見ていたら、「ドライブマイカー」をやっているチャンネルがあった。カンヌで脚本賞に輝いた評判の映画であるけど僕は相も変わらず映画に関しては怠惰を決め込んでいる。つまり観ていないわけで、じゃあ、取りあえずそれでも観てみようかと思い椅子に腰掛けた。
 不思議な映画である。確かに村上春樹さんのテイストを感じる絵柄で、赤のSAAB(もうこの車を作っている会社もないのだなぁ)がとても印象的である。その車に乗っている西島秀俊さんと霧島れいかさんの夫婦がするセックスの話・・・。セックスをあまり感じさせない二人の間でなされる会話の底に霧島れいかさんの道に惑った姿が映し出される。きっとしっかりとした父母の間で大切にかわいがられ育てられ、その大人の価値観に沿うように生きてきた女性が突如、自分の歩く道は本当にこれだったのかしら、と考えた途端に迷い込む迷路、見失った視界、失った子供。否定としてのあからさまなセックスの話や不倫。
 下世話に言えば、「自宅での不倫は御法度」(芸能人がやるとめちゃくちゃ叩かれる奴)だし、「旦那が自宅に帰ってきたのに気づかない不倫」も衝撃的だし、「それを黙ってみて見ぬふりをする旦那」も結構、え?という感じを受けるべきだと思うのだけど(少なくともその不自然さをスルーしちゃう観客はどうなのかとは思う)、最後の件については西島秀俊さんが演じる旦那は妻の喪失感を自分が埋められていないと言うことを悟っているという感じはするのだよね。彼女のその視界の喪失は夫である西島さんの緑内障により視界の喪失と響き合うような気がする。
村上春樹さんはこんな感じの女性を描くことが多く、多分身近にそうした生き方をしている女性が何人かいたのだろうけど、霧島れいかさんがその女性を本当に上手に演じている、というか彼女自身も同じような経験をしたのではないかと思わせる何かがある。そして彼女、霧島れいかさん・・・ではなく「家福音」は何かを言い残したまま死んでしまった。
 さっきは喪失と書いたし、映画の評でも喪失と言われているが、視界にしろ、妻にしろ失った物は喪失と表現するべきなのだろうか?むしろ欠落という言葉の方が僕にはぴったりとくる。人生の座標の欠落、視界の欠落、愛の欠落、愛すべき人の欠落、その欠落を認識し、それを抱えながら生きていく。その景色に霧島れいかさんがとてもよく似合う。
 そしてタイトルロールがあり、さあ、これから本格的にドライブマイカーが始まるのだ、というところでサッカーの試合が始まる時間になった。激しく迷いつつ、僕はリモコンを手にしていた。
 最初西島秀俊さんから運転手として拒否された三浦透子さんが車を運転している。瀬戸内海の島々が美しい。場面が変わってワーニャ伯父さんの不思議なオーディションが演じられている。
 そしてキックオフ・・・。結局サッカーにチャンネルを変えていた。すまん。

 サッカーはラグビーに比べてアップセットが多い。最近はジャイアントキリングというらしいけど、言葉としてはアップセットの方が相応しい。アップセットとはびっくり仰天である。そのアップセットがありうるのか?と思っているうちにいきなり前田大然が飛び出してゴール!・・・かと思ったらオフサイドであった。前田は天を仰いでいる。天を仰ぐ姿はあまり良くない。不吉である。
 その後は予想通りドイツに攻め込まれていった。中盤が窮屈でボールはなかなか進んでいかない。フォワードが機能するところまで球は行かない。散発的に敵陣に入り込んでも有効な球出しができない
 DFもうまく機能しないままごたごたしているうちに左から攻められ、GKの権田が妙な形で飛び出してファールをしてしまった。ペナルティキックとなり決められて先制されたのだが、どうもあの飛び出しは妙な感じでなんかの勘違いがあったのではないか、と思う。恐らく球が相手の影になって見えなかったために球に向かったつもりが相手を押し倒してしまったのだろう。
 1対0で始まった後半も開始早々はあまり期待できない展開でこのまま押し切られてしまう感じはいよいよ色濃くなっていく。ドイツに攻めこまれ、18秒に4回シュートを浴びせかけられたにも関わらずセーブしたGK権田は賞賛されていたが、18秒に4回もシュートを相手に打たせるがままにしたDFはどんなものだろう、とも思う。
 だが選手を替え、攻撃的な選手を入れていったあたりから確かに空気は変わった。中盤を突破して青いユニフォームが敵陣まで攻め込んでいく。そして南野のシュートを防いだノイアーは続けざまの堂安のシュートを防ぐことができず、見事に球はネットに吸い込まれ思わず僕も立ち上がってしまった。同点である。経過上オフサイドにはならないし、クリーンなシュートだと分かっているのに画面をキョロキョロ見渡し、ノーゴールの判定がないか心配してしまうのは悲しい性だ。
 いやそれよりも悲しいのは同点にした途端に、その点をなんとか守って欲しいと思う「負け犬根性」である。逆転など思いもよらないのであり、次に点が入るとしたらきっとドイツ側に違いないと思っている。そんな期待?と不安を完全に裏切ったのは浅野のゴールであった。ロングフィードから一発で決めるというのは、やられたことはあってもやったことは観た覚えがない。画期的なのは決めきったと言うことなのである。
 そもそも僕らが負け犬根性で試合を見てしまうのは、世界レベルの試合では日本サッカーが負け犬そのものであった期間が長いからである。記憶にあるのはマレーシアに出張していた時にドイツで開催されたワールドカップで日本がオーストラリアに敗れた試合である。前半先制した時は一緒の出張者と共に沸いたのだが、後半に立て続けに失点して出張そのものがお葬式みたいになってしまった。
 そうした、染みついた負け犬根性を凌ぎきりついに勝利をしたのは大変なことであった。やはりこれは日本チームの大半が海外のチームに出て実戦を経験したからこそ得られた勝利なのだと思う。同じ能力を持っていたとしてもその経験がない時代は、相手にのまれ自らを卑小化して敗れていたのだろう。それでもまだその感覚は残っており、明日のコスタリカ戦が心配でしょうがないのは多分僕に限った話ではあるまい。
 それと同時に僕にとって「ドライブマイカー」は霧島れいかさんが何かを言い残したまま息を引き取って、そのまんま僕の中で揺蕩っている。
 それは原作者も映画監督も、もちろん主演である西島秀俊さんも三浦透子さんも望むところではないのだろうけど、意外と僕には気に入っている。だからしばらくこのままにしておこうかな。たくさん賞を取っているのに残念ながら彼女に個人的な賞は出ていないけど、僕の中ではとても印象に残った役どころであり女優さんであった。こんな尻切れトンボは意外と良い物だ。尻切れトンボの映画とドイツ戦の勝利は組み合わさったまま僕の記憶の1ページとしてずっと残っていく、そんな気がしてならない。
 明日はコスタリカ戦である。どんな試合が待っているのだろうか?そしてドイツ戦でおきたような確かで豊かな記憶が僕にすり込まれるような事は起こるのであろうか?

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