せっかく書いて上げたのに非公開入りしている・する予定のシリーズ3作品。本編は見せられないけどあらすじと梗概だけでも置いておきます。
あらすじは内容のさわりだけですが梗概は結末まで書いちゃうのでネタバレ注意です。
「肢闘(しとう)」はブレイン・マシン・インターフェース「投影器」を介して操縦する人型兵器であり、今のところ大まかにマーリファインとカーベラファルドという2機種があります。操縦とは別に電子空間の探索を行うことを「潜る」と表現します。九木崎理研という機関が陸自の第701肢闘中隊と連携して投影器の研究や肢闘の設計を行っています。中心人物として3人の肢闘パイロット(砲手)、私こと柏木碧(かしわぎ・へき)、檜佐エリカ(ひさ・えりか)、松浦要(まつうら・かなめ)が登場します。タリスというのは九木崎の管理・教育コンピュータで人格のようなものを持っています。というあたりが基本情報です。
〇あらすじ
「心水体器:リリウム」
戦車砲に操縦室を射抜かれた檜佐のカーベラファルド。機体の被害に反して彼女自身は何ら傷を負っていなかったのだが、再び操縦を試みたその時に異常が生じる。それは機体コンピュータに比較的多く独自のプログラムを走らせる檜佐独特の乗り方に起因する問題かもしれない。いわば彼女が機体の中に残した意思が人格の像のように機能しているのか? そう、確か私にも彼女と同じような乗り方をしていた時期があった。檜佐の一件から私は私の過去、九木崎との出会いをたどっていく。
記憶や意思が人格として機能するのか、実際の人間が記憶や意思そのものとどう違うのかを考える一作。
「心水体器:流氷姫は微笑まない」
荒れる日本海で試験中に消息を絶ったロシアの肢闘F12、コールサイン「ドルフィン」。ドルフィンは亡命を求めて海自艦の前に浮上するがパイロットは姿を現さない。助言を求められた九木崎および中隊は折しも肢闘無人化の試験中、呼び出された松浦はそれがAIなのではないかと疑うが実は……。複雑な血縁を持つ松浦は血を持たない生き物としてのドルフィンにある種の憧れを抱く。しかしドルフィンに近づくことで彼自身が浄化されることはありうるのだろうか。
人間は生まれながらにして人間であるのではなく、人間の肉体を持ち、人間として育てられるから人間になるのだ、ということを考える一作。
「心水体器:ダフネ」
イージス艦に投影器の適用を試みる「ベイリーフ計画」。私は横須賀でそのテストに加わり、艦の分散的な戦闘システムが植物的な性格を帯びていることに気づく。対するは旧知アイリーン・イングリスが操る「ダヴ・パック」。半自律型の無人攻撃機の群れ。私は密かにライバル心を燃やしながら演習に臨むが、自らの身体が艦の中に拡散していく一方で肉体という核を失っていくような感覚に捕われる。ボーイフレンドの矢守との休暇の間に私は自らの存在様式を再考し再び戦いの海域に向かう。
植物的ネットワークと動物的群れを対比させつつ、白亜(新生自由主義アメリカ)を巡る国際情勢、背景に目を向けた一作。
梗概
「リリウム」
新型肢闘カーベラファルドの実地試験も兼ねてアラスカ沿岸の戦略爆撃機基地攻撃に加わる第701肢闘中隊だったが、砲兵隊の転地に合わせて山を下り谷を辿る最中、雪中に潜った戦車部隊の奇襲を受けて真っ先に檜佐機が狙われる。直撃。操縦室モジュールが吹き飛ぶのを尻目に私は敵に切り込んで退路を開きつつ戦車を一両仕留める。果敢に戦った敵兵は死に、これで仇を討ったと思ったのも束の間、陣地に戻った私は檜佐の生存を知る。
一足早く後送された彼女と帰国後に再会するが、全くの無傷で九木崎の倉庫の機体入れ替えを手伝っていた。無事を喜ぶ仲間の姿にむしろ私は死んでいったかつての仲間の記憶を呼び起こす。大勢が誰にも殺されることなく死んでいった。彼らは投影器に潜るうちに投影器に飲まれてしまったのだ。
様子見で投影器接続を禁じられ手持ち無沙汰になった檜佐は私を連れて教育隊(高校に相当する)に出向いて練習機の様子を見て回る。そこでサキという少女が熱心にシミュレーションしているのを見つけ、レクチャーすることになるが、私の実演がわかりづらいのを見兼ねた檜佐が禁を破って自ら潜ることに。しかし案の定彼女は異変を訴える。
被弾した檜佐機が檜佐の制御なしに陣地に戻ったという話を思い出した私は、檜佐が機体に残した自作プログラムが動作したままになっているのではないかと勘繰る。
早速操縦室モジュールを交換した檜佐機に潜る。機体コンピュータは九木崎の管理コンピュータ・タリスに接続されている。私たちソーカーはタリスの電子空間を聖堂のように捉えるのだが、そこには檜佐の姿をした像が待っていた。それこそが檜佐の残したプログラムの姿だった。檜佐の像は檜佐本人との合一、つまり削除されることを望んだが、既にタリスが記録していた檜佐の過去の記録を閲覧したことによって檜佐本人とは異なった経験も積んでしまっていた。両者を隔てた時間の流れが合一を難しくすることになる。
再び潜る準備を整えた檜佐。だがこの時には檜佐の像は少しばかり考えを変えていた。私にも過去はある。少なくとも知っている。ではなぜ私がそちらに戻らなければならないのか。そちらが私に統合されてもいいのでは? 檜佐本人は逡巡する。それでも肉体がなければ私という存在は存続しない。それが現実世界に生を受けた意味だ。そして檜佐の像は合一を受け入れる。檜佐は眠る。檜佐は無事にあのアラスカの戦いを生き延びた。それは今になってようやく言えることなのだろう。
一方私は自分がかつて檜佐と同じように機体に自作プログラムを多く走らせていたことを思い出す。そして檜佐と同じように突然機体との接続が断ち切られた経験があることを思い出す。それは大垣事件と呼ばれている。私は12歳だった。九木崎に反する過激な宗教集団に拉致され暴行を受けた復讐を自ら遂げたのだ。その時乗っていた機体がリリウムだった。当然無断で機体を動かしたわけだから追っ手が来て一種のコンピュータウイルスで私の制御を乗っ取った。その時以来リリウムには触れていない。
私は母親が嫌いだ。私を襲った連中は九木崎からの子供の解放を謳っていた。母親は九木崎を信用していなかった。連中に私のことを頼んだのは母親だ。私を傷つけるつもりなんてなかったのかもしれない。でも連中の本質を見抜けなかったのは母親の罪だ。母は私のことを愛していたのだろう。でもそれは私を幸福にはしなかった。いつも裏目に出た。私を苦しめた。たとえ悪意がなくても罪は罪ではないか。
私は機体が集められた押し入れ倉庫に向かう。機体の山の下にリリウムは埋まっている。電力を与え、プログラムが何か行動するか確かめる。
リリウムは機体の山を掻き分けて私に折れた鉄骨の先端を突き出す。私は8機の肢闘を同時に操って迎え撃つ。リリウムを押さえ込んで投影器をつなぐ。中の空間には少女が横たわっていた。それがリリウムの核だ。12歳のママの姿の私自身だった。かつて私が放ったまま残してきた分身だった。私との戦いの結果すでに機能を停止している。息を止めるのは私の責務だ。
「本当にいいの?」と女が問いかける。
もし母親がまともな人間だったら、私は九木崎に引き取られることも、軍人になることもなくまっとうに生きていただろう。その可能性を現したのが女の姿だった。女は私にそっくりだった。でも体つきが細く、そのせいで母親に似ていた。
「そうだよ、私はこれでよかったんだ」私は母親に似たくなんてなかったのだから。それに私は潜るのが好きだ。その能力は九木崎が与えたものだ。
私はリリウムの像に槍を突き立て、空間に火を放った。あとには雪原のような一面の灰が残るだけだった。生き物の死は死骸を生む。死骸は他の生き物の糧となり土を潤す。プログラムの死は何も残さない。そこには無だけがある。完全に消失してしまうことができる。私という人間の在り方としてはあの女の方が正しかったのかもしれない。でも私には肉体がある。それが、それだけが正当性の証明だった。
「流氷姫」
山林機動自走高射砲・通称「肢闘」。陸上自衛隊のドクトリン、および九木崎理研の投影器研究の両面から要請された兵器。千歳を拠点にその実用試験を行う第七〇一肢闘中隊。中隊所属の私・柏木碧の趣味は投影器を介した情報収集。今回の観察対象の片割れは小隊員の松浦要。
彼は仕事仲間の煮雪舞子(にゆき・まいこ)を部屋に招いて新発売のトカゲ型ロボット、インファン・ゲッコーを見せる。ゲッコーは学習型ロボットで、何も知らない状態からまさに「生まれる」のだ。二人はその瞬間を共有する。ただ彼は舞子がゲッコーよりも彼自身を目当てに来ていることに気づいていないのか無視しているのか……。
片やロシア製肢闘F12、コールサイン「ドルフィン」二機がウラジオストク沖で潜航試験中に行方不明になる。実際のところドルフィンは亡命を企てたのであり、追っ手から逃れて日本の駆逐艦に接触する。日本側は保護のためドルフィンの乗員に機外に出るよう命じるが、ドルフィンはそれは物理的に不可能なのだと答えて九木崎の所長・九木崎青藍(くきさき・あおい)を呼ぶよう求める。
連絡を受けた九木崎女史はロシア語が得意な松浦を連れて駆逐艦に移乗する。当時九木崎でも肢闘の無人化試験を行っていたことから、ドルフィンもまたロボットであるがゆえに人が乗っていないのではないか、と松浦は考えていたが、実際には中枢神経以外の肉体を機体に置き換えたいわゆるサイボーグであることが発覚する。
九木崎が保護を引き受けることを決定してドルフィン二機を苫小牧まで曳航する。深夜、追撃で傷を負ってから沈黙を続けているドルフィン8は後回しに、ここまで交渉を担ったドルフィン9が肢闘中隊など陸自による包囲の中で上陸する。従順なドルフィン9だったが、港の外にロシアの工作員の姿を認める。トレーラー輸送中に手を出されたら危ないと察して自力で千歳に向かうと言い残し、包囲を振り切って森に逃げ込む。
その混乱に乗じてドルフィン8がこっそりと千歳に輸送される一方、ドルフィン9は人目を避けて千歳に到達、危うく工作員の手を逃れて松浦と再会し九木崎の保護を受ける。中隊長の賀西の尋問によってドルフィンたちの誕生の経緯と亡命のきっかけが明らかになる。ドルフィンたちを育てたサナエフ研究所が窮地に立たされたこと、またロシア側が機体の返還を求めていることから、機体のままで帰国、あるいは日本に留まることは難しいと賀西は諭し、人間サイズの義体を「移植」することを提案する。
義体制作を担うのは義肢装具士の煮雪舞子。舞子はドルフィン9が保存していた家族写真を参考に既存の素体を活かして半月で義体を仕上げ、新月の日に移植に挑む。結果が出るまでには長い沈黙があったが、ドルフィンの在り方に魅せられた松浦は一晩待ち続け、舞子もそれに付き合う。
そしてドルフィン9は目覚める。だがもはや機体に与えられたコールサインで呼ぶのは不適だろう。エウドキア。それが彼女の名前だった。彼女は義体への適応テストを一通りクリアし、在留申請の説明を受け、野球に加わってバットを振る。そして松浦の部屋でインファン・ゲッコーと出会い、妙に心を通わせる。人間と機械。生まれは違うが、機械として成長した育ちは似ているということかもしれない。その一方、松浦が苦悩している家族関係や血の問題にはエウドキアは淡白な反応を見せる。松浦はその苦悩ゆえに血のない生き物に憧憬を抱いたのだが、そこに近づいたところで自分の穢れは浄化されないのではないか、エウドキアに理解を求めることはむしろその美しさを穢してしまうことになるのではないか、と思い始める。
そしてドルフィン8の意識が回復しないまま、またその存在も隠匿されたままさらに半月が経ち、ドルフィン9の機体を返還する日、エウドキアは再生技術によって正真正銘の肉体を手に入れたかつての仲間と再会する。それぞれの在り方の違いを議論し、彼女は自分が人間に近づこうとしているわけではないこと、むしろあらゆる動物たちとの関係の中に生きていくべきであることを再認識する。
他方松浦もその在り方を尊重してエウドキアへの憧憬を断ち切り、舞子の好意に応えることを決意して煮雪家の夕食会に参加する。
「ダフネ」
白色アメリカ連合・通称「白亜(はくあ)」。それは約1年前の春にミルウォーキーで誕生した極自由主義政権。白亜の経済至上主義に基づく代替制裁としての武力行使に対し、アメリカ旧政府とそれを支持する日本はじめ連合各国は断続的な抗戦を続けていた。
私・柏木碧の原隊は陸上自衛隊だが投影器適性が高いので海・空からも仕事の依頼が来る。
まずは空。電子戦機への投影器適用試験中、ある日の空中戦で無人化された攻撃機の群れと対峙、自律機動に翻弄されもう一息のところでその管制機を取り逃がす。あとでわかったことだが、それは白亜が開発した無人攻撃機管制システム「ダヴ・パック」であり、群れを駆っていたのは旧知のアイリーン・イングリスだった。ライバル意識に火がついた私は、私なら自律機動などさせず全て自らの意志で操ってみせる、と意気込む。
そして海。千歳から横須賀に移ってイージス艦の広大なシステム領域を全て一人で掌握する試験・通称「ベイリーフ計画」に挑む。それはダヴ・パックとは対照的な挑戦なのではないかと私は思う。
というのも出張前の有休一日で私はボーイフレンドの矢守陶(やもり・すえ)と大学の講義に潜り込み、木は挿し木の集合体のようなものだ、という話から植物生理学に興味を抱いていた。コンピュータネットワークは動物より植物の身体の構造に近いのではないか、コンピュータの連接で成り立っている艦の戦闘システムは植物的なのではないか、投影器を介してその中に身体感覚を浸透させるのは植物的身体を受け入れることなのではないか、と考えを広げる。海自の人間関係にも馴染めないまま、九木崎の教育用AI・タリスを唯一の相手に議論を続ける。
ベイリーフ計画の責任者・桜井が艦長を務めるイージス艦「景鶴(けいづる)」に乗って外洋に出る。艦の構造を学び、艦内生活に慣れつつ1週間、いよいよ感覚だけでなく自ら艦を操作する段階に達し、操艦訓練と対空戦闘演習を行う。ダヴ・パックがもともと対艦攻撃システムであることを思い出した私は演習に没入し、自在に艦を操ってみせたものの本来の肉体感覚を忘れてひどく体を冷やしてしまう。投影器に慣れない人間が機体と肉体の区別をつけられなくなって陥るパニックをフラクタルというが、その一種だろうか。肉体を疎かにするということは植物のような核を持たない生き物に近づいていくことを意味しているように思えた。
その後、孤独で気楽な休暇を想像しながらアメリカ移民の船団護衛を終えて帰港するが、そこには矢守が待っていた。全く予想外の出来事だったが、私はその出迎えをありがたく感じる。出張前にはいささかすれ違っていた二人の時間が噛み合っていくようになる。
その決定的きっかけを与えるのが白亜企業サイプリス・インターミディエイトのデイヴィッド・ハーモンであり、彼は高額報酬を提示して私をスカウトする。しかし私は九木崎の仕事でも相当貰っているからと拒否する。売れっ子男娼の矢守もかなりの高所得者で、どうもそのせいで女を信用しないところがあったが、私が金目当てでないとわかったからか腹を割ったことも話してくれるようになる。矢守は私が投影機とつながる姿を愛しているし、そこに生じる可能性を信じている。それなら私はもっとうまく艦を操るだろうし、どれだけ植物的身体に没入したとしてもきちんと肉体に戻ってくるだろう、と信念を固める。
デートは続く。たとえ一人でも行くつもりだった鴨川でシャチのパワーと群れの在り方を知り、かつて九木崎の本部があった諏訪でタリスのネットワークの巨大さを知る。
再び戦闘が近づき、景鶴に戻ってサイパン沖でアイリーンを迎え撃つ。私は景鶴のみならず艦隊の防空システムを掌握して優位に立ち、ダヴ・パックに個別の制御機能があることを逆手にとって管制機を仕留めるが、相手が潜水艦と連携したことによって景鶴も痛手を負って浸水、コンピュータのダウンによって乗員たちの人手に頼らざるを得なくなり、追撃を受けて転覆する。アイリーンと私は群れとネットワークという互いの存在様式の不徹底によって刺し違えた、ということになるだろう。
そして厚木の捕虜収容所でアイリーンに会い、艦隊すら君の能力の全てを示すものではないと指摘され、私は私のさらなる可能性を思いながら家路につこうとする。