最初はグレンデルという名前を知らなかったが、永瀬清子のエッセイ集を読むと、「女性が詩を書くこと」のなかで、こう述べている。
[…]私はせっせと詩を書いて、昭和5年には佐藤惣之助先生のお世話で詩集「グレンデルの母親」を出し、先生が立派な跋を書いて下さった。
この題名は英文学で、英雄ベオウルフが怪物グレンデルを退治した話に基づいている。怪物の母親は、そのあと一人王城に乗りこんで息子の切られた腕をとり返す。
討たれたグレンデルの腕はみせしめのため城の上にかかげられていたのだ。けれどやがて彼女も沼地にある自分のすみかに追いつめられ「英雄」にやられてしまう。私の詩はつまりその母親の立場に立って書こうとしたのであった。英雄であり勝利者であるベオウルフの立場ではなくーー。
なぜならすべて勝利者の立場へのほめ言葉が、今まで詩の書き方であったとしても、本当の詩人は、敗者の立場を理解すべきものだと私は信じたかったからだ。
グレンデルの母親は
グレンデルの母親は
青い沼の果の
その古代の洞窟の奥に
(或はまた電柱の翳のさす
冥い都会の底に
銅色の髪でもって
子供たちをしっかり抱いている
古怪なその瞳で
蜘蛛のように入口を凝視している
逞しい母性で
兜のように獲っている
子供たちはやがて
北方の大怪となるだろう
或は幾多の人々の涙を
無言でしっかり飲みほすだろう。
凄憺たる犠牲者の中をも
孤りでサブライムの方へ歩んでいくだろう
悪と憤怒の中にも熔けないだろう
そして母親の腕の中以外には
悲鳴の咆哮をもらさないだろう
新鮮な臓物のような
夜の潭みからのぼる月の光は
古代の沼に
或は都会の屋根瓦に燃え
グレンデルの母親は
今 洞窟の奥にひそんでいる
-1929・4-