一、女は「芸術作品」を書きたければ「怒り」を捨てること。『ジェイン・エア』や『ミドル・マーチ』からは「恨み」や「権利国家」の声が聞こえるが、天災小説家エミリー・ブロンテやジェイン・オースティンは、決して「怒り」を表面に出さない。小説は個人勘定の「ごみ捨て場」であってはならない。
一、小説家は自分のヴィジョンで作品をまとめるべきだが、文学の世界にはコンヴェンション(因習)によるしきたりがあって、その審判者は男である。歴史も人生の価値体系も男の作ったものだ。女は芸術、人生いずれにおいても、男と違う価値観を持っているから、当然、男の価値体系を変えたいと思うだろうが、そんなことをすれば男は自分たちとちがうという理由で、作品をみそくそにけなすだろう。
一、「怒り」を抑えるのには詩が最適である。詩には「肝を冷やすような鋭い観察記録」の入る余地はないからだ。テーマは個人を超越し、「われらが運命」とか「人生の意味」とかいったものがよい。
ヴァージニア・ウルフ『女性と小説』