「鳩の嘴」
なにも言わない なんてほんとうに?
なにも要らない なんてほんと?
世界は自分の経験によって変わるものとは思わない
けれど
過去から学ぶくらいなら
新しいpageを開きたい
子どもなら 何処だって遊べる
叱るあなたも 叱られたでしょう?
紙飛行機が避雷針より高く飛んだわ
この世界に なんの意味があるの?
あるとしたら 感謝と祝福
一羽の鳩がそよ風に泳ぎ
自由に湧き出る潮のなかに住む
魚の群れを狙っているわ ああしあわせ
人生は 喜び続けることに意義がある
人生は ありのままを感謝し続ける
それを知るテスト
簡単でしょう?
幸せを追い求めるのではなく
この幸せに身を置くの
簡単でしょう?
あなたは とても賢く勇気がある
愚か者なら なおさらいいわ
「ぼたんの掛け違い」
私は自分自身が望んでいない性癖を持っているのだろうか。その答えは、やはり四歳のころ一緒に遊んでいたぬばたまの髪の子が目の前でレイプされた、あの事件にさかのぼる。
それは、人生という愛情を探す人の道でぼたんの掛け違いによる話である。
四歳のころ、無垢だった私は目の前で襲われている女の子を助け出そうと思う一方。
第一にボクハソンナニツヨイ人間デハナイ。
第二にボクハ彼女ヲ守リタカッタ。
第三にアノオオキイ大人ニボクハナッテユク。
第四にボクハ心ヲ壊シ精神ヲ壊シ思イヤ性ヲ壊シテ彼女ニナリタイ。
第五にボクガトリモドシタイノハボクデアリ彼女トイウボクダ。
彼女に別れ際に質問をした。「やさしさってなんですか」
彼女は答えて言った、「ゆるすことかな、みすてるとすこしちがった」
真っ黒にしたオセロ 何食わぬ顔で君はひるがえして君と永遠に遊んでいらたら良かったのに……
平成二十八年〇月〇日「けれども、ゆえに、かもしれない」
「私は社会的弱者でしかない、けれども、こんなに小さく愚かな者を神様は用いてくださる、それゆえに、私は多様性のある人たちと生きているのかもしれない」
「私には成功体験がなく、自分に対して悲観的な見方しかできない。けれども、他者を非難し、自暴自棄に陥るのは、根底に相当な自信があるからだ。ゆえに、私は悔い改めることで人生の再スタートをきれるかもしれない」
「私のこころは病で満ちている。けれども、私には真の理解者がいる。ゆえに、私のたましいは病に打ち勝てるのかもしれない」
「私を試みる者がいる。その輩に生活を脅かされている。けれども、私は苦難を乗り越える力と脱出の道が備えられている。ゆえに、私は神様を信じてるのかもしれない」
「自分自身をフルートに例えるなら、せいぜい、二〇〇〇円ほどの壊れたフルートと言えよう。けれども、誰の手にあるかが重要だ。超一流のフルート奏者(神)の手の中なのか、そうでないのか。ゆえに、私の価値は、私の設計者に委ねるべきかもしれない」
「私は障害を患うため医師に次のように言われた。『仕事と結婚は諦めなさい。それが君のためだ』けれども、私は人を愛する意味を勉強しよう。ゆえに、私の障害の意味とは私だけが決定する。私は折れた心から人のやさしさを知ることができるかもしれない」
「この世は差別と偏見で満ち溢れている。けれども、傷つけられた者の責任を私は機果そう。ゆえに、私の個性はそれらに勝ると言えるかもしれない」
「私は苦しみとともにいる小さなものだ。けれども、一生懸命に生きることによって成長してゆこう。ゆえに、助け手は得やすく荷は軽いのかもしれない」
「私はなんとしあわせから遠い者であろうか。けれども、苦難から忍耐が生まれた。忍耐から練達が生まれつつある。ゆえに、私の将来は希望で満ち溢れている」
「私は無学で知能の低い者だ。けれども、日常生活や学校で教わった基礎を大切にしよう。ゆえに、昇華が遅かった分、これから私は大きく伸びてゆくかもしれない」
雨宮さんという統合失調症の人が書いた詩を三点メモしました。