連載中の『テロメアから遠く離れて』は、あらすじにも書いたとおり、『やっぱり猫が好き』の現代版オマージュ(パクリ)です。当時はバブルで、ゴールデンタイムにもかかわらず、変なドラマが製作されていました(予算が余り過ぎたのでしょう)。吉田栄作主演『もう誰も愛さない』はシドニー・シェルダン原作です。話がスピーディに展開するTVドラマで、一回見逃すともう今の話がわからないという、平気で読者を置き去りにしました。いまのテレビ業界では考えられないです。深夜バラエティ『夢で逢えたら』は、若きダウンタウンやウッチャンナンチャン、野沢直子や清水ミチコがレギュラー出演していました。わたしは毎週テレビにくぎ付けになり、そのなかに『やっぱり猫が好き』もありました。まだメジャーにはならずに、抽選で当選した番組オリジナルテレホンカードも持っています。メルカリには絶対出しません。わたしの家宝です。
話をずっと過去に戻します。漫画やアニメでは手塚治虫と永井豪がツートップ、「手塚は女が描けない」と言われていましたが、それは永井豪のエロティックなタッチが手塚にはないものだったのではないかと思い、でも二人に共通するテーマはアンドロジナス、つまり表象するものは男でも女でもない、ということです。手塚治虫『メルモちゃん』『リボンの騎士』、永井豪『キューティーハニー』『けっこう仮面』『あばしり一家』など、男でありながら女である、男のような女を描く、その描きかたに、わたしは多大な影響を受けました。フランスでは永井豪『UFOロボグレンダイザー』がいまも人気です。ロボットでありながら流線形スタイルで、つねに変形する動きはエロティックに感じます。
そう言いながら、どの位置にも置けないのが楳図かずおです。『洗礼』『14歳』はいまでも傑作だと思います。
萩尾望都や竹宮恵子などの文学の漂う少女漫画で、特に岡田史子が好きでした。SFではアーシュラ・K・ル=グィン『闇の左手』。トランスジェンダーの登場人物がいて、男性の主人公を翻弄する物語です。当初ル=グィンは男性名で小説を書きました。それくらいSF小説業界では「小説は男が書くもの」という社会的偏見があったのです。その常識を打ち破った人たちを、古臭い慣習に変化を起こそうとした人たちを、わたしはこよなく尊敬します。
ドフトエフスキーで哲学に目覚めた人は多いと思いますが、わたしは漫画で目覚めました。フランスの小説に雰囲気が似ていたように思います。『異邦人』は大のお気に入りです。日本なら『ドグラ・マグラ』。中学のときに二回読むとは思いませんでした。
いまではテレビも漫画も見ませんし読みません。テレビは20年前に処分しました。人気漫画がテレビアニメになったのを、たまに配信で観るくらいです。
読書は相変わらず好きで、東欧文学に関心があります。アウシュヴィッツやホロコースト文学、ヒロシマ・ナガサキ・オキナワの文学も好きで読んでいます。人々の記憶に残らないものを、難解でわかりにくいものを、わからないまま記憶にとどめておくのが、たぶん好きなんでしょう。
わからないものを、もっとかみ砕いて読者に提供しようとは思いません。わからないことをわかったふうにして素通りすることも、わたしは許さないのです。