「隙あり!」
「チッ、甘ぇんだよ!」
高校から帰宅してきた影治に、不意を突いて襲い掛かる男。
それは影治の実の父である男であった。
四宮流古武術137代当主とされる武光は、手に真剣を持って襲い掛かってきている。
勿論鞘から抜き放たれた状態であり、完全におまわりさん案件であった。
「ぬおっ!? がはははは、やるじゃねえか。流石、我が息子よ」
影治は自宅にいる間、まったくもって安心できる時間というのがない。
何故なら、常在戦場だとか言っていつ何時父親が襲撃してくるか分からないからだ。
ただ今回はわざわざ「隙あり」と声を掛けて襲い掛かってきた分、いつもの殺意マシマシな襲撃よりはかなりマシである。
「ケッ、てめぇの血を引いてる事がたまらなく嫌んなるぜ!」
実の息子に真剣で襲い掛かるこの男。
それだけでもとんでもないのだが、更には体中から酒の匂いをまき散らしている。
本人曰く、飲めば飲むほど剣が冴えわたるぞ、がはははっ! との事で、何かと言えば酒を飲んでいる。
こんな破綻者ではあるが、日々生活するために仕事は持っている。
それが刀鍛冶職人であり、代々父から子へと古武術以外に刀鍛冶の技術も継承されてきた。
それも胡散臭い137代目当主という話は抜きにしても、少なくとも数百年レベルで伝承されてきている事は確かで、現代でもしっかり刀匠の資格を得て年に24本の刀を打っている。
しかし自宅で息子に刀を振り回していると知れ渡れば、いくら歴史がある鍛冶師の家といえど、資格を取り消される可能性はある。
だが四宮家には謎のコネクションが昔からあった。
子供の頃の影治は気に留めていなかったのだが、後から思い返してみるとスーツをきっちり来た連中を、よく自宅の敷地内で見かけた。
敷地内には自宅とは別に道場も構えており、昔ながらの日本邸宅といった趣をしているのだが、そこに相応しくない人がよく出入りしていたのだ。
彼らは飲んだくれている武光にもやたらと低姿勢で接しており、だからあのバカがつけあがるんだ! と当時の影治は彼らを苦々しく思っていた。
「まあ、そう言うな。今日は1本良いのが仕上がったからよ。機嫌がいいんだ」
「てめぇの機嫌なんぞ知ったことか! 死ね、破城拳!!」
「ごばおあぁっ!」
自宅に帰ってきたばかりなので、影治は得物を手にしていない。
なので無手術である破城拳をお見舞いする。
破城拳は真伝の奥義であり、名前の通り城門すら素手で打ち崩すと言われる程強力な技だ。
魔法だの気功だの、そういったものが実在しないとされているこの世界において、それはまさしく本物であった。
実際に影治が本気で打てば、石造りの城門をぶち破る事も可能である。
そんなものを普通の人間に使えば、ヘビー級ボクサーの最高のパンチをすら良牙する、必殺のパンチとなる。
当たり所にもよるが、手足などでなく胴体部で受けてしまった場合、生き残ることが出来る人はいないであろう。
「ぐふははははっ、ぬううん!」
「チッ、薄紙散らし……いや極伝の方の極・薄紙散らしか」
しかし武光は四宮流古武術の現当主である。
天才と言われた影治には既に敵わなくなっているが、それでも武光は歴代でもかなりの使い手であった。
影治の殺意の篭った破城拳も、極伝の技でダメージを軽減され、戦闘不能状態になる事を回避している。
「その年で真伝の技をそこまで使いこなせるとは、やはりお前しかおらん! お前ならば初代以降誰も到達出来なかった、神伝の領域にも至れるはずだ!!」
「んなこたあ、どーでもいい。今俺は異世界ファンタジーに嵌ってんだ。邪魔すんな!」
「グッパオン!」
追撃で武光に良いパンチをお見舞いすると、影治は自室に向かって歩き始める。
謎の奇声を発した武光は、2発目のパンチでまともに動けなくなったようで、ようやくこれで一時の安らぎの時間が得られることになった。
「まあ、あのクソ野郎は少しするとピンピンになって復活しやがるけどな」
それもまた現代では考えられない、不可思議な現象であった。
四宮流古武術には、身体を癒す為の活法というものが存在する。
ただ極伝までのそれは、例えばマッサージや整体などによって体を整えるといった範囲を超える事はない。
だが影治の父である武光は、真伝の領域に足を踏み入れている。
破城拳を使っていた事から、この時点の影治も真伝に至ってはいるのだが、活法に関してはまだ極伝の領域に留まっていた。
しかし武光は理を外れるとされる真伝の活法を用いることで、全治数か月もかかるようなケガを、1週間やそこらで完治させてしまう。
あらゆる意味で、常識はずれの男であった。
「でもま、あんだけやればしばらくは大丈夫だろ。今の内に、ネット小説を読み漁りまくるぜ!」
学校内でいじめられて奴をふとした拍子で助けた際、お礼としてもらった1冊のファンタジー小説。
それが影治に新たな扉を開かせるきっかけとなった。
ただ学生の影治には、金銭的な問題で同じように市販されている小説を買いあさる事は出来なかったので、代わりにネット小説にずっぽりと嵌っている。
それも影治は速読持ちで恐ろしい速度で読み進めていくのだが、何千何万もの作者によって産み出される物語は、そんな読書ペースの速い影治でも追いつけない程に、日々更新され続けていた。
「ううん、俺だったら転生したらこーすんだけどな……」
そんな事を考えながら小説を読んでいる時間は楽しいものだ。
学校でははれ物に触るような扱いをうける事が多いし、自宅では常に襲撃の危機がある。
それは本来であればかなりのストレスを生み出すものなのだが、強靭な精神の影治はそれで潰れることはない。
ただそうしたストレスの発散先として、空想世界の話を読むのはうってつけだった。
この時の影治は、予想だにしていなかった。
これより数年後、世界が激変することを。
そして数十年後に死を迎えた先に、この頃望んでいたような生活を送れるようになるという事を……。