先日はまことにお見苦しいところをお見せしまして、申しわけありませんでした。
あれからかなり久しぶりのがちの鬱状態に一時入り、ようやく持ち直して来て冷静になれました。
しかし正直『天ノ川連邦見聞録』に関しては「粗大ごみ」と罵る気はなくなったまでも、存在意義を疑っているのは変わっていません。またしばらくの間、作品本体を見る気もしないのも同じく。
他の作品と違い、他の趣味を長く横に避けてまで書いてまとめた作品なのです。
ここまで来ると「読まれなかった、はい次」じゃないんです。自分の書いてた時間が完全否定されますのでね。しかも他にも、ここに書ききれないほどに複雑な事情があるだけに余計にきつい。
逆に現実で書いてる公募作品の方が「駄目だった、はい次」出来るまでありますよ。あれは1ヶ月くらい我慢すればいいんですから。
というより、四十代で1年半無駄にするとかどんだけ心理的に厳しいやら。三十代前半を生活上のトラブルで5年無駄にした苦い思い出がありますのでね、再来は困るのです。
……まあ現実では『文芸埼玉』に載ったりしてますので、前の時とは比べものにならないくらい綜合的な環境はよろしいのですが。
新作投稿に関しては、ともかく現在出すのはかなり悪手だと思ってます。
何せコンテストにみんな目線行っちゃってるわけですから、応募もしない零細作者の新作に目を留めるわけもなし。
大体にして参加しなかった作品のための自主企画が立つくらいなんですよ。いつもより目につく可能性が低いと言われているようなものじゃないですか。
2月7日までですから……そうですねえ、1月いっぱいは無理でしょうかね。
「待つのきつい」の一言ですが、読まれない要因は出来るだけ排除しませんと。