『偏屈に与ふる書』を書いて以来、改めていろいろと「偏屈」な人について考えたりしています。
というのも周囲に多いんですよ、この手の人。「私は偏屈ホイホイか?」と思うほどに現実でもネットでもぶち当たります。
その「偏屈」の中でも一番始末に困るのが「過去何かあってこじらせてる」というタイプの人なんですよね。カクヨムでは例を見たことないんですが、創作の世界では時折見かけますし現実となるともっとです。
よくあるのが過去に何かトラウマになることがあって、思い出したくないからとかたくなにその話題を拒絶し、出ようものなら相手を敵視して存在否定して来る人ですね。
直接話して来た人だけならまだしも、関係ないところで言及している人まで攻撃する人もいますし、ひどい場合は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに関係する有形無形のものに矛先を向ける人もいます。
何が困るって、「トラウマ」という配慮すべき事柄が原因なのでむやみに責められないんですよ。それに別に犯罪をしてるわけじゃないですから。
だからこういう人とは、普通の「偏屈」以上に距離を置くしかないんですよね。いわゆる「そっとしておく」というやつです。
……正直、私もこういうタイプの人が知り合いにいて本気で困らされてます。
現実でかなり会っててTwitterでも相互フォローというしがらみがあるので切り捨てることも出来ないし、へそを曲げると怒りのままに害を及ぼして来るのでうっかり何かするとこっちが危険だし。
ノベルゲームでたまたまトラウマと重なる展開があった上に気に入らない方向に話が向かったからと、ディスクをたたき割ったと聞いた時はどん引きしましたよ。
その後も罵倒しまくるもので、絶対に話に出せません。世間では超名作とされていますし、何より私の大好きなゲームなんで話したいんですが……。
おかげでせっかく二十周年を迎えても、Twitterで祝いの一つも言えませなんだ。そんなことしようもんなら猛攻撃されて死ねよかしに言われかねませんからね(大げさではなく本当です)。