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『また逢う日まで』投稿

掌編『また逢う日まで』を投稿いたしました。
本作はもう12年も前にTwitter上で出されたお題に従って書いたもので、改稿して一度pixivで公開しておりました。現在pixivは閲覧専用となっているので、特にあちらで公開しておくこともなかろうとさらに改稿してこちらへ移した次第です。
実は私は満洲好きの人間で、満鉄こと南満洲鉄道を中心とする戦前の満洲の鉄道にも広く興味を持っております。Wikipediaで満洲国の私鉄に関する項目を書いたのも私です(途中で不逞の編集者に邪魔をされたまらず編集放棄しましたが)。
この時のお題は「得意分野」とのことでしたので、そっちに走った次第です。

北鉄接収は昭和十年三月二十三日に元東清鉄道の北満鉄路の譲渡が決定し、即日行われたものです。接収後は満洲国の国鉄となり、満鉄が委託経営を行っていました。
北満鉄路は満鉄と同じようにただの鉄道会社ではなく、沿線の殖民地行政をも行っていました。このため、同社の接収は満洲におけるソ連の支配の終焉を意味します。
関係者にはもはや哈爾浜にいる理由はないため、多くが帰国しました。残った人もいるかも知れませんが、そこまでは分かりません。
元社員を含むロシア人の大移動は、当時の現地の新聞や満鉄の出していた広報誌『満洲グラフ』にも載っています。

この後神父がどうなったかはご想像のままに……と言いたいところなのですが、実はほぼ運命が決定してしまっています。
当時のソ連政府は満洲に住んでいたロシア人を差別し、本国に帰還しても腫れものに触るような扱いをして時には粛清したといいます。
彼ら「白系露人」がかつて革命時にソ連共産党と戦った「白軍」の人々や貴族などの末裔であったことが理由でした。
さらに驚くことに、北満鉄路の関係者などソ連から満洲に行った国民も「赤系露人」という同志でありながら迫害し、大量に粛清したことが近年公式に分かりました。
ここまでのことになっているのを分かっていて、「また逢う日まで」とは。自分でも残酷な作品だと思います。

余談ながらロシア語で「さようなら」は「ダ・スビダーニヤ」のイメージが強いですが、これは直訳すると「また会う時まで」という意味で、再会が決まっている時の言い方です。題名はその意をくんだものです。

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