「鬼と天狗」で、問題のバックボーンとして取り上げている「尊攘派」思想。
元々は水戸で生まれた考え方ですが、その内情は、必ずしも一概に「外国人排斥」という単純なものではありません。
書いている私自身も悩むところが多く、いよいよ第3章に移る前に、思想のマトリックス図を作ってみました。
まず、左側にある「大攘夷」「小攘夷」について。
これは、
小攘夷:単純に外国勢力を排除すれば良い。薩長の人々に支持された思想。
大攘夷:ただ外国を拒否するのではなく、西洋諸国との交易を通じて列強に対抗できる国力を整える必要がある
という違いがあります。
鬼と天狗の「江戸震撼」で、鳴海・三浦十右衛門・安部井清介・三浦権太夫による尊攘論についての鼎談の場面がありますが、同じ「尊攘派」と一口に言っても、清介と権太夫では、大分温度差があるのは、このためです。
https://kakuyomu.jp/works/16817330661491248711/episodes/16817330668702499920https://kakuyomu.jp/works/16817330661491248711/episodes/16817330668702554531史実としてははっきりしたことが分かっていませんが、少なくとも清介は明治に入ってから「富国強兵」っぽいことを著書で述べていますし、黄山も、商売のことを考えれば「大攘夷思想」に近い持ち主だったのではないでしょうか。
幕府が本気で鎖国に戻したら、「種紙」(蚕の蚕卵紙)の販売が家業の黄山は、商売上がったりになりますし。
文久3年(1863年)八月十八日の政変では、長州尊攘派による京都制圧が失敗。そのため、尊攘派の期待は水戸藩に移っていきます。
ですが、そもそも水戸藩は幕府との関係が、元々微妙でした。
これは、先代の藩主徳川斉昭(現当主は慶篤)が幕閣と対立し、斉昭が取り立てた改革派のうち、過激派が「桜田門外の変」「坂下門外の変」など、各種事件を起こしたことが原因です。
そのような中で、改革派の中でも比較的穏健派(≒大攘夷に近い思想の持ち主)らは、むしろ過激派を押さえる側に回っていました。
ですが、その歯止めが効かなくなっていくのが、文久3年の秋以降ということになります。
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そして二本松の国元では、現在は鳴海らが留守を守っていますが、今後、否応なしに尊攘の嵐に巻き込まれていきます。
水戸藩、そして隣藩の尊攘派はどう動くのか。第三章で、お楽しみ下さいませ!
(その前に、「虎落笛」がありますが^^;)