こんにちは。
手羽元の甘辛煮を作ろうとしたのに、鶏がらスープになってしまった伊桃 縁です。
目的と手段が全然違うじゃん!((笑))
ご飯じゃなくて、麺を用意するべきでした。
あの、〝本に呼ばれる〟ってことありますか?
(いきなり何を言う)
どう言ったらいいのか、連想ゲームみたいな感じ?
あと、著作権が気になるので、タイトルが変になっています。
(近況ノートなので大丈夫でしょう)
さてさて。
以前、自分の作品へレビューを頂いた際に萩尾望都先生の『トーマの心臓』について触れて頂いたのですが。大変失礼ながらその作品を拝読したことがなく…、速攻で調べては興味を抱き、近日中にプレミアムエディション版が発売予定とな。あ、良いお値段だけど、ポチッと買っちゃいましたよ。(*´σ-`)エヘヘ
(自分以外の所から来る情報に惹き付けられる、それを辿っていく、こういう縁に強く引き寄せられる感覚を〝呼ばれる〟って言っています)
心して読みたいと思っていたので、数日後、確実に時間を確保できる時に読んだのです。
そしたら、まぁ不思議なこともありまして。その読んだ日の夜に萩尾望都先生の作品に登場する「ケーキ」を再現する番組が放送されていまして。(時々見る番組)
心に衝撃ずしんッと来た!言葉に辿り着きました。
「成功ではなく、希望を残したかった」萩尾望都先生
速攻でメモりましたよ!!!
(〝呼ばれる〟時って、自分の中で足りなかったり、分からないことへのヒントや、ある意味での応え(答え)を教えてくれるような気がしています)
本筋から逸れてしまいましたが、『トーマの心臓』について。
「魂が欠ける時 裏側編」の方で、水松カラス様より頂いたレビューは、何を言いたかったのか。それを確かめるべく『トーマの心臓』を読みました。
読み終えて思った事。あの大作名作を連想させたことに驚きました。
同時に(レビューの一部抜粋)
>あの名作ともまた違うでしょうが、何だかそういうことだ。
はい。おっしゃる通り、違います(むしろ恐れ多い)
けれど、近いモノ(感覚)がありますね!(読んだから分かった)
裏側編は特に、(語弊を恐れず言うならば)流行り(?)のBLになってほしくない。
登場人物たちは、作中では語られていない経緯を得てそれぞれに繋がっているから、簡単な言葉で言い表せないし、言葉にしたくない想いがありました。
(単純に文字数制限に無理があった)
〝書かないこと〟で、〝伝わるのか〟というのを試したかったのかもしれません。
だから、これはもう「読者を信じるしかない」という思いでした。
「委ねる」って言った方がいいのかな。
ていうか、素人のくせに無謀じゃね?(笑)
とにかく色んな事を試みて書いたつもりでした。
それと、『トーマの心臓』を読んだことがある方は、伝わるかもしれませんが、「魂が欠ける時」の作中に登場する「佐伯桃源」は、「オスカー」の位置ですね。
(個人的見解:オスカーめちゃくちゃいいな)
これ、読んだことがない方には、なんのこっちゃ!知らんわ!ってなると思うので、申し訳ないです。
ただ言いたいのは、頂いたレビューやコメントはとても大切であって、何を感じてくれたのかってことが重要だと思うのです。
自分もそれ(言葉)をしっかり受け止めたいと、特に最近そう心掛けようと思っていて。
(校正者・大西寿男先生の影響がかなり大きい)
どんなシンプルな言葉でも、そこに何か感じてくれたから書いて(残して)くれたと思います。
そうした言葉とその背景を受け止めることが出来たら、これからの創作活動にも良い刺激になるだろうな。と思うわけです。
そんなに深く考え込まなくてもいいと思いますし、気楽に楽しんでいければいいとも考えています。
でも、自分なりの探究心は遊び心も含めて、もっと追い求めていけたらな、と。
哲学的なことを言いたい訳ではないので、今日はこの辺で筆を置こうと思います。
ちなみに、今夜は生姜焼きにします。