⑫淀川戦記~鋼鉄魔機激闘編(弐)~

 淀川大はレントゲン室に入った。バリウムを飲んで撮影する胃の透過撮影専用のレントゲン室だ。中は十畳ほどの広さだろうか。意外と狭かった。

 入ってすぐに、少し小太りの看護師さんが駆けてきた。
「あ、胃の撮影ですね。スマートフォンと腕時計とその他貴重品、貴金属品はこちらのカゴに入れて下さい」

 ああ、さっきと同じか。検査着は脱がなくていいんだな。知っとるぞ。

「バニラ、ストロベリー、マスクメロン、チョコレート、抹茶の中から好きなものを選んで下さい」
「は?」
「バリウムの味です。これから味を付けますので、どれがいいか言って下さい」
「へえ、こんなに味があるんですね。ああ、去年もそうだったかな……」
「どれがいいですか」
なんか、強引だな。まあ、いい歳のオジサンだし、選択肢はひとつしかないよな。

「ストロベリーで♡」

「はい。――ストロベリーだそうです」
「はい分かりました。お作り致します」

 びっくりした! そんなところに立っていたのか。白衣姿の中年男性が一人、壁際の机の方を向いて立っていた。彼は振り向くと、丁寧に頭を下げた。
「本日、撮影を担当させていただきます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「それでは、これをお持ちください」

 差し出された手には、山盛りの白い粉を入れた小さなカップが握られていた。淀川大がそれを受け取ると、白衣の男はその機械を指差した。
「ここに立って下さい。この板に背中を付けて、まっすぐ立って下さい」

 淀川大は40cm四方ほどの板の上に乗ると、背中を長い板に付けた。一応、頭上に注意する。よし、何も落ちては来ないようだ。

 挙動不審な淀川を見てか、白衣の男は言った。
「この板がいろいろな角度に動いて、体の角度を変えますので、左右の棒をしっかりと握っていてください。その前に、その粉を飲みましょうか。お腹の中を膨らます薬です」

 分かっとるがな。発泡薬でしょ。

 淀川が薬を口の中に放ると、続いて小さなカップを差し出した。
「これで飲んで下さい。バリウムです。げっぷしたくなりますが、我慢してくださいね」

 分かってるって。お、本当にイチゴ味だ。去年もそうだったかな。とにかく、今はイッキに飲んでしまおう。

 口腔洗浄剤のコップくらいの量なので、簡単に飲み込めた。バリウムも名前の割にたいしたことは無い。

 すると、白衣の男が、今度は反対の手に握っていた大きめのプラスチック瓶を差し出した。中には白いバリウムが八分目まで入っている。明らかに500mlのペットボトルよりも大きい。

「これを一気に飲んで下さい。多いですが、頑張って飲みましょう」

 マジか……。

 淀川大はバリウムを一気飲みした。もう、全力飲みだ。

 必死に飲み終えた直後、天井のスピーカーから、さっきの白衣の男の声が響いた。
『はい、げっぷは我慢しましょうね。飲み終えた容器は横の穴に入れて下さい。そうです、そこです。では、左右の棒をしっかり握ってください。板が傾きます』

 視界が上から下に流れ、天井が斜め上に見えている。

『では、左側を下にして、横を向きましょう』

 そうしてみた。正面に斜めにガラス窓が見える。その向こうで、白衣の男がマイクを握っていた。

『では、反対側を向きましょう』

 まあ、このくらいなら、楽勝だな。ちょっと斜めってるくらいだし……。
『板が倒れまーす。しーっかり棒を握りましょう』

 体が板と共に水平に横に倒れる。

『ではですね、そのまま時計回りにぐるぐる三回まわってください』

 時計回り? 右回りか。狭いな。

 淀川大は曲げた両膝を持ち上げると、腹筋で胸から上も持ち上げ、棒を握った両腕の力と肩の筋肉で体を風車のように回転させようとした。ブレイクダンスのダンサーのように。

『あ、いや、違いますよ。縦にです。体をまっすぐにしたまま、ゴロゴロと右回りでお願いします』

 ああ、そういうことか。日本のオノマトペは素晴らしい。しっかり伝わったぞ。こうだな。ゴロゴロゴロと。

『はい、そうです。上手ですねえ』

 調子に載せると、あと二回は回っちゃうぞ!

『はい、それくらいで大丈夫です。では、もう少し回って、うつぶせになってください』

 こうか……

『そのまま、頭の方に少し傾けまーす。棒をしっかり握っていてください』

 お、おおお! 結構な傾きだな。ほぼ45度じゃないか。少しじゃねえだろ。

『今度は左を下にして、手の位置を変えて棒を握り直してください。はい、そうです。そのまま、今度は脚の方を下げます』

 一気に視界が180度横に倒れる。

 んー、体勢的には楽だが、腹がキツい。胃から下腹までパンパンじゃねえか。破裂するんじゃないか?

『はい、もう少しですので、頑張りましょうね。では、横に倒れまーす。大丈夫ですかあ?』

 水平になった板の上で、淀川大は右手をあげる。

『手は離さないで下さいねえ。では、今度は左回りに体を回しましょう。三回です。さっきと逆でーす』

 まったく、何度も……。よいしょ、よいしょ、よいしょ。

『では、上を向いて、仰向けに。そうです。今度は右手で左側の棒を握りましょう。左手は上の方に上げておいてくださーい。はい、そうです。左足を少し持ち上げましょうか。そうです。そのまま右足の上に重ねて下さーい』

 シェーじゃねえか! 遊んでいるのか!

 ドアが開く音がした。しまった、心の声が外に出てしまったか。
「はい、もう少しで終わりですからね。ええと、次はうつ伏せになってください」
 そう言いながら、その白衣の男は体を回している淀川大の上部に何やら器具を設置し始めた。左肩に固めの枕のような物が当てられる。その上に支柱となる金属の棒が立っていた。

 白衣の男は言う。
「では、そうやってうつ伏せのまま、今度は頭の方にぐっと倒れます。ほぼ逆様に近い状態となりますので、左の肩当てに全体重を載せて下さいね」
「は?」と顔を上げた淀川に背を向けて、白衣の男は部屋から出ていった。

 左肩に全体重をかけて逆様だと? バリウム飲む撮影は何度もやってるが、それは初めて……
『では、頭から下がりまーす。棒をしっかり握っていてくださーい』

 おお! おお! おおおお!

『いっきに下げまーす。左肩にのせて下さいねえ』

 うおおおお! マジか! こんなの、ほぼ曲芸じゃねえか! 頭に血が……

『今度は一気に180度回転しますので、しっかり棒を掴んでいてください。縦にしまーす。さん、にー、いち』

 どおおお! 早い! 宇宙飛行士の訓練か!

『そのまま、回ってまっすぐ前を向いて下さい』

 最初のように立った状態になった淀川大は、くるりと前を向き、カメラに向かってにっこりと微笑んだ。まあ、マスクの中でだけど

『はい、ありがとうございました』

 ようやく終わったか。こんな荒っぽいレントゲン検査は今まで……

『では、最後にもう一度逆様になりまーす。今度は右肩に体重がのりますよお。棒をしっかり握っていてください。いっきに回転しまーす。さん、にっ、いち』

 あぐおおおお!

『頑張ってくださいね。すぐに終わりまーす。はい、終わりました。では、元の角度に戻しますねえ』


 オロロロロロロロロ!

 戻した。バリウムを。

 ドアが開き、さっきの看護師さんが駆けてくる。
「大丈夫ですか」
「ええ。何とか……。少し出ちゃいました。すみません」
 看護師さんが青い検査着の上に広がった白いバリウムを拭いてくれた。多少の染み込みは仕方あるまい。
「ウプ……」

「結構出たようなので、残りは少ないかもしれませんが、これが下剤ですので、すぐに二錠飲んで下さい。今夜中に出なかったら、八時間以上あけて残りの2錠を飲んでください」
 淀川が散らかした嘔吐物を拭き取る看護師さんと、その周りの汚物を見回しながら、白衣の男は冷たくそう言った。

 淀川大は肩を落としてハンカチで口を拭きながら、レントゲン室から出ていった。


《つづく》

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