AM6:30頃
空には雲一つ浮かんでいなかった。
青空から届く日差しは、台風が接近していることなど微塵も感じさせない。
いや、その台風が雲を引き込み、空から影を奪い去っているのだろう。
嵐の前の静けさとは正にこの事。
淀川大は片笑みながらプラごみの袋をゴミ捨て場に置いた。もう一方の手に握った埋め立てごみの袋を下ろしながら、朝日を強く反射している町内会の看板に細めた目を向ける。
―埋め立てゴミ・ペットボトル・資源ゴミは、ここには捨てられません―
オーマイガー!
ワンブロック先の特殊ゴミ集積場所まで行かないといけないぜ。くう……二時間ちょっとの睡眠状態の体にはキツイ。
朝日に背中を焼かれながら、淀川大はトボトボと二百メートル先のゴミ捨て場まで向かった。埋め立てゴミ袋の中の割れたコーヒーカップの破片がカチャカチャと音を鳴らす。
なぜコーヒーカップを割ってしまったのか。
淀川大はコーヒー大好きオジサンである。今朝もお気に入りのドリップコーヒーを飲もうと、やかんでお湯を沸かし、愛用のカップの上に据えた紙のドリップバッグの中に湯を注いだ。その横に置いた、一昨日書いた健康状態報告書の裏面の「健康診断当日の注意点」欄に視線を落としながら。
―検診当日の朝はお水以外の摂取をお控えください―
オーマイガー!
コーヒー飲めねえじゃねえか!
淀川大は反射的にやかんの先をカップから離した。
そう言えば、昨日の朝はそのつもりで水だけで過ごしたのだった。くそう!今朝も水だけか!俺は植木鉢の観葉植物か!修行僧じゃない……どわっ!あぶねえ!健康状態報告書の上にやかんを置いてはいかん!
淀川大は反射的にやかんの底を健康状態報告書から離した。その時、金属の鈍い音と焼き物の乾いた高音が同時に響き、シンクの中に愛用のコーヒーカップが勢いよく飛び込んだ。ステンレス製の三角コーナーに衝突し、パリンと音を鳴らす。
オウ……シット!#######⇐自主規制
いかん。疲れている。二時間くらいしか寝てないせいか……。この状態からカフェイン無しで脳を起動させろだと? 水だけで?
無理だ。淀川大は、起きてすぐはコーヒーカップにご飯をつぎそうになる人である。そもそも、本日これから使用する健康状態報告書を台所のシンクの上に広げて、やかん片手に読もうとしていること自体が寝ぼけている。ここから水だけでリカバリーできるはずがない。
このコンディションは……いかん。
頭痛も酷い。前日の長距離運転(往復約600㎞)で車のエアコンに当たり過ぎたせいか……。
今朝のコンディションは昨日よりも悪いじゃないか。これでは、あの受付の女に勝てん!
昨日の見たのは幻覚ですよ、私は今日はじめてここに来ましたよ、くらいの勢いで臨まなければ、検便キットをその都度ご提出に来られた方ですね、で終わってしまう!それだけは避けなければ……。
特殊ゴミ集積所に埋め立てゴミの袋を置いた淀川大は、決意を新たにした顔を東の空に向けた。昇りたての太陽が眩しい。せめて帽子でも被ってくればよかっ……
は! そうだ! アレがある!
(淀川大の近況ノート8月3日「すっごくオシャレなのです!👒」参照)
アレを被っていけば、結構深く顔が隠れるから、検診日を間違えて昨日来た人と同一人物だとバレずに済むだろう。
ナイスな帽子をナイスなタイミングで送ってくれてありがとう、にわ冬莉さん! 早速、実用させてもらおう。よし!
淀川大は希望に満ちた顔で、照り付ける太陽に向かって勢いよく走っていった。
《つづく》