まず、近況ノートのコメントの言い回しから、なにやら感じ取るものがあり、その後、プロフィールや作品を読んでみて、なるほど、と思いました。
本題に入ります。
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前回の企画時ならば、作品の文章のなかからいくつかの文章を抜粋して相手の考えや意図を探るというのが主なやり方でしたし、いまもこの手法自体は変えていません。ただ、あなたの作品には適さないな、と思いました。第一章と第二章の手前まで読んでみて思ったことといえば、(おそらく)考えを希釈されているか、あるいは職業として文章を書かれているようなので自然と我を秘匿することができているか、というものでした。また、そちらのプロフィールや作品説明、参加されたときのコメントの内容を加味すると、複数人の考えが投入されており、第一章時点では、あなた自身の考えというものはあまりなく、「戦争」という事柄を「水の沸騰」とかと同じように、Aが発生したならば当然の帰結としてBが発生し、という具合に描写を組み立てられていた印象です。
強いて第一章で「おや」と思ったのは、最初の乙女小説風味な言い回し(ドラガン〜の説明からイェレナが愛を射止めた)ところといじめっ子の汚物は消毒の台詞チョイス、そして親と子の容貌がそれぞれバナナフィッシュのアッシュを連想させる、という点にあったと思います。あとこれは、考えすぎの可能性が高いですが、第二章時点で主人公に結婚願望があることが明言された点は、バナナフィッシュのアッシュの最後も加味して考えると筆者の女性的な願望が投射されていたような気がしました。ただ、極限状態に長く身を置いていると生存本能から性欲が高まるという話も聞いたことはあるので、軍人は結婚願望が高いという話があった可能性も否めないと考えています。
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わたしは、「描写」とは、主に描写(行動描写など)と心理描写の二つに大別されると思っていて、商業的な目線で見ると描写に長けているほうが有利だと思います。心理描写が受け持っている領域は「水の沸騰」の「仕組み」を解き明かすための「なぜ?」であったり、歩き始める前のつま先の向きを定めるような、「特定の瞬間」を伸縮させて心を定めていくようなものである、と。心理描写に長けている場合は一瞬が延ばされ続けるので、書き手の習熟度によっては、「腰に帯びた刀を抜いて敵を一振りで斬り伏せる」という現実では数秒程度の行動を、一冊の文庫本にすることも、理屈上は可能であろうと思います。ですが、それだとバランスが悪いのもたしかで、時間はてきどに延ばしたり縮めたりすべきである、と考えます。そういう意味では、そちらの作品は行動などの描写に優れていました。ただ、心理描写が乏しいことから、この作品はなにを特色にしているのか、というのがあまり読み取れませんでした。書き方の作法にしたがうならば「時系列はむやみにいじってはいけない」とされているのは、存知の通りです。ただ、第二章から作者本来の色みたいなものがすこし濃くなった気がしたので、わざわざ時系列通りにやらずとも、という感があります。しかし、第一章が厚めの壁として機能することで、この強度に耐えられない読み手を振るい落とせている気もします。私的にはもう少し心理描写を通じて考えが読み取れるとよかったと思いますが、戦争は繊細な絵画に原色のペンキをぶちまけるようなものなので、「戦争」という現象を鳥瞰できるような立場でなければむずかしいのかもしれません。たとえばご存知かもしれませんが、飛行機乗りで有名なサン=テグジュペリの「戦う操縦士」がそうです。
> 「村なんかを惜しんでいるわけにはいかないんだ」と言われるのを耳にした。その言葉も仕方がなかった。戦時下にあっては村はもはや、代々伝わるさまざまな伝統や習わしがひとつに結ばれるような場ではない。ひとたび敵の手に落ちれば、単なるネズミの巣となるだけだ。あらゆるものの意味が一変してしまう。たとえば樹齢三〇〇年におよぶ木々、先祖伝来の古い家をずっと見守ってきたその木々が、二三歳の中尉殿が指揮する砲撃の邪魔になる。中尉殿は一五人ばかりの兵士を寄こして、長い歳月を生き抜いてきたこの古木を切り倒させる。中尉殿はわずか一〇分の砲撃のために、忍耐と太陽の三〇〇年を消し去ってしまう。家族の愛着が、庭の木陰で行われたいくつもの婚約式の思い出がつまった三〇〇年を消し去ってしまう。
「うちの木になにをするんだ!」と言ったところで耳を貸しはしない。中尉殿は戦争をしているのだ。これは正当な行為なのだ。
しかしいま村々を焼き払っているのは、戦争というゲームをするためでしかない。庭をめちゃくちゃにしたり、搭乗員を犠牲にしたりするのと同じだ。歩兵部隊を戦車の群に突撃させるのと同じだ。言いようのない嫌な空気が蔓延している。一切がなんの役にも立たないからだ。
サン=テグジュペリ 戦う操縦士
あと、これは個人的な邪推ですが、最初というのは物語の大切な第一印象であり、今後の物語の全体像を想像させる重要な地点であると考えます。仮にこれが時系列通りに書くことによって単にそうなっただけで、第二章の感じが基本なのだと仮定すると、主人公の過去編はあくまでも彼の「背景」としてそこにあるべきで、お話の第一印象を決める地点に配置されるべきだったのだろうか、と思いました。わたしは日本生まれ日本育ちのもやしなので戦争については伝聞でしか知りません。だから、リアル軍人にとっては違うのかもしれませんが、あれを開幕に持ってくることの「必要性」が見えず、この話はこのように読んでくれ、楽しんでくれという通底したものを感じ取ることができませんでした。おそらくそれは、わたしが夢枕獏の神々の山嶺のような山家(登山家)なら山の話ばかりし続けてしまうような作品のほうが、作品としての楽しみ方が明確で好みであるという点にもあるのだと思います。
以上です。