似たような題目ですが、これをされていて治っているか気になった作品があったので読みにいったのですが、繰り返してました。
もう残念だけれどもこの作家の作品は二度と読み事はないと思いました。
なぜ、この時~してなければ~だったのに~知る由もなかった。などを一人称で書いてやるのか。
一人称だから俺、私と主語にしてるからと言いたいのだろうか? 本当にわからない。ミステリー系ではこういった未来語りや神視点を書くことは良くあるわけだが何が違うかというとあれらは三人称だから可能なのであって一人称では愚策。
では一人称でもいい場合とは何か? それは日記型です。日記なら自分視点で過去話をしてるわけだから神視点や未来語りをできるわけです。
なので一人称でしか書けないけど、匂わすような事を書きたい方は先ずその物語のクライマックスまたは山場などの分岐を冒頭で書くと違和感が違和感でなくなります。
例として
今三人の美少女が俺のまわりで姦しく言い争っている。それを見て俺はなぜこうなったのかを微笑ましく見ながら思っていた。
そうあれはあの日の出会いからだった。あの時の俺はこんな日常が来るなんて思っても見なかったんだ。
のようにその物語のエンディングでもいいし、章の終わりのエピローグでもいいので冒頭に持ってくる。
たったこれだけで読者は過去の話として物語の中に入れる。それも無しに普通に話が進み唐突に神視点などいれられると主人公視点じゃないのかよ! と困惑する。
この思い出にふけるような日記風にすることでその間でも「~と気づかなかった」とかいくらいれても問題なくなる。同じ事言うが、〈物語〉シリーズはいってみたらこれなのだ。
結果としては内容同じやんと思うなかれ。物語に入り込め続けれるか醒まされるかでは大きく違ってくるのである。これが同じという方は本をもっと読めと助言する。