• エッセイ・ノンフィクション

一人称を多面で書くのが何故だめなのか?

 前回に続き一人称の話しです。
 恋愛に多いですが恋愛でなくともザマァ系のファンタジーでも多く見られますが、主人公以外のヒロインやサブキャラ数人での視点切り替えからの台詞からの心理描写を書くことですね。
 これ全くしてはいけないとは言いませんが早い段階からは間違いなくしてはいけません。特に主人公視点で始まった視点から早々にヒロイン視点から主人公への想いの心理描写なんて以ての外です。

 ではなぜ駄目なのか? それは早々に結論を出されて未来がもう視えてしまうと読者は読みごたえが皆無になるからです。自分自身に置き換えてみて下さい。ゲーム買いその説明書にネタバレを全て書かれていたら楽しめますか? 推理小説で早々に答えがわかったものを読みたい、観たいと思いますか?

 投稿小説でたまに……いえ、多々見るのですが。「ヒロインのこの時どう思ってるか知りたい」とかなどを感想で本当によく見ます。こういう感想が多いというのがこの問題を起こしてる原因かもしれませんが、それに応えているかなのかどうかは知らないが、~視点、~sideといったものがすぐに来る。
 本当にこのやり方はその小説の面白みを消しているというのを気づいてほしい。

 そもそも一人称物語というのはその本人、主人公になりきるためのものです。なので主人公がヒロインに惹かれていく、口説いていくその行動にトランスし、主人公と同じようにヒロインの心情をその仕草の表現などから推理していってるのです。
 なのに早々にヒロイン視点から好きだと書かれているともう攻略のわかる恋愛シュミレーションゲームなので魅力的にうつりません。
 これわからない方は少女漫画を読みましょう。小説は読まない作家でも漫画なら読めるでしょう。
 紆余曲折あって付き合えた結果になった時、そのヒロインを好きにならないですか? リアルでも相手の気持ちが全てわかっていたら恐らく達成感もないだろうし、恐らくすぐに破局になっていると私は思う。
 ……わかってたほうが上手く行くという極論は言わないでね。

 もし相手サイドなどの描写をする時というのは付き合う事になる、所謂ゴールの手前に一気に書いていく。これはクライマックス前の盛り上がりを助長させるので最善です。こういう手法ならばそれが語られ終わったとき読者は「いよいよか」と期待を膨らませることだろう。

 推理やミステリーでは謎が当たり前ですが恋愛やファンタジーでもこれはないと面白くない。それがヒロインの心です。安易にヒロインの視点を書いて、わかりやすい心理描写を書くのは止めましょう。
 
 私は書くよ。ほっとけと言うのなら構いませんが、映画化やアニメ化された最近のラノベ作品の『膵臓』や『冴えカノ』のようなものを書きたいと想っているなら無理だと断定します。
 仮に書籍化されたとしてもそれを続けていたらそこまで売れないだろうし、編集や校正に添削されると思います。そういう職業ではないので実際そうかは存じませんが……。
 少なからずそういう作風が好きな方もいるんでしょうが読書好きにはウケないと思います。

 ただ絶対してはいけないのか? と言う事に対しては必ずしもと言ってるわけではない。安易、多用、早々にというのがいけないのである。

 サブキャラからの視点から描いてさらに主人公、ヒロインの心理描写を深く考えさせるといった方法もあったりするし、早々にヒロイン視点を書いたとしてもその時点では何も思ってないと書くことであとはクライマックスまで秘匿させるとそれまでの物語の内容に深みをもたせたりしたりするからだ。

 と、独自見解をしましたが反論ある方いるのかな? いないと思いたい……。

1件のコメント

  •  視点変更を全くしてはならない。とは言ってはいません。効果的な視点変更ならば問題はないです。ある作品ではダブル主人公として各々の視点からあらわしているものもあります。第三者の複数の視点から主人公、ヒロインを表現するものまであります。
     私がいっているのは同一シーンでの視点変更。やたらと全てのキャラ、ないしはヒロイン、重要な位置のサブキャラの視点を書きまくるものです。

     同一シーンでは突然視点が変わって混乱するのもそうだし、何より情緒もなくなるし、登場人物の心情を全部書かれて一人称だともうそのキャラの葛藤なんかどうでもよくなるので趣きがなくなりまさんか?

     確かにニーズがあるとも感じます。が、あまりにも考えるというのを放棄してる方にしか見えないのが私の見解かもです。
     視点変更については過去の数多の作家が試して、現在は結論として駄目だとなって今の小説まで昇華されたものをニーズがあると低読者に合わせるのはどうなのかとも私は思います。

     まぁここは素人作家の集まりで投稿の際、編集も校正も挟まないので秩序がないわけなので私があーだこうだと喚いても無駄なのは承知してますがね。
     ただ増えすぎている現状なのが私には残念と思っているのでノートど愚痴っている次第です。

     ライトだから、webだからええやんと思うのもわからなくもないし、書くというなら止めはしません。権利はないですから。ただ私とは相容れない、少なくともライトノベルではない。ノベルとは言わせないとなってしまうだけです。
     思うのも間違いではないし、それをするというのも自由です。過去の数多の小説家が視点変更をしてはならないという結論になったのを無視して小説家を名乗りたいとそこまでいうなら私には止めるすべはないです。残念におもうだけですね。
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