• エッセイ・ノンフィクション

あれこれ読んで思った事

 人により面白いと思う作品はあると思う。その面白いという感想にも序列があると思う。
 それを一度アカウントを作り直しフォローが何もない状態から再度読んでて思ったのは、記憶に残ってる作品の作者も「みたことあるな……」となる事が必ず起きる事。
 他の方はどうか知らないが、作家名なんて私は見てない。題名、あらすじ、タグを見て読みかどうかを決めて20話ぐらいで判断してるわけだけど、面白いと感じて初めて作家を見ます。
 そこで、「あ~、あの作品書いた人か」となるわけです。ここで面白いと思い続きを読んでても面白いと思うのが薄い、またはただ暇つぶしに惰性で読んでる作品というのは気づきもしないということです。
 やはり、この2つの違いは、基本が出来ている。今までノートで言ってきた事がやれている。若しくは気をつけている。あと書いてないことで言えば誤字脱字が圧倒的に少ないことだろうか?

 あとは先のノートと少し被るけど品がある。同じようなハーレム、ラブコメ要素があったとしても下劣ではない点だろうか?
 陵辱の有無やエロの有無という話ではない。そこに至るまでが流れとして存在してもおかしくなかったりなどである。

 確かに自由に投稿できるから自由に書いたら良いとは思うが、『自由』とはその字の通りしていいことでは無い。私の高校では服装は自由だった。所謂、私服OKだったわけだが、完全な私服は全校生徒の1割ほどしかいなかった。(この1割のそれが陰キャと呼ばれるタイプだったのが今思えば不思議で可笑しい話だと思う)
 なぜか? 高校とは制服という無意識に秩序というものを感じてたからではないかと思う。まぁ私服が面倒だったのも大半だったとも思うが(笑)

 話がそれたが『自由』とはいえ『不特定の大衆』に読ませるという意識をもち、『小説』というものはどんなものかを勉強なりし、そういった意識のある作家の作品が『印象に残る作品』と思う人が多いのではないだろうか? これが自分の親類や身近な友人、文芸部のメンバーなどの小さなコミュニティだけに読ませるならばそれこそ『自由』に思いの丈書いたら良いと思う。

 私は『自由』とは『何してもいい』ではないといことだと思っている。いくら『表現の自由』というものが法律で言われてるからと言って、『自由』という中にも『秩序・倫理』といった社会常識というものがあるということを。ルールとは守るんではなく、自分への戒めだと思う。勘違いや誤解や歪曲して逸脱してはならないと思う。
 まぁ硬い話になったけど、ようは誰に読ませても恥ずかしくないと思える作品を書いて、それを読ませて欲しいと思い、願ってます。

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