たとえばカクヨムテストみたいなのがありますと。100点満点の60点が合格で、不合格だと有料になりますとかなんかそんなやつ。だと反発くらいそうなので、まあそうですねえ、90点以上の得点を取った人が、運営の権限を一部貰えますと。こう、サイト運営にユーザー目線を入れたいんだけど、クソバカが集まっても困るので、じゃあまあふるいはかけましょうということになったみたいなことですよ。やりたいですか? いやまあ別にですよね……じゃあなんのためのテストなのかって言われると困る……
とにかく。たとえばこのテストで、こんな問題が出たとします。
「カクヨムは無料でかつ公開されたサイトなので、カクヨムに投稿されている作品はすべて著作権を放棄しているとみなされ、好きにパクって良い。⚪︎か×か」みたいな。
まあダメでしょうと。×ですと。皆さんお答えになれると思うんですけど、じゃあたとえば思考実験として、その他の激ムズな難問を潜り抜けて、この問題1問だけ間違った99点のユーザーがいたとします。
こいつ運営チームに入れていいと思います? どうですか? ちょっとヤバくねーかって感じありません?
森博嗣が言ってたような気がするんですが「医者の国家試験で、インフルエンザが疑われる体温は次のうちどれか。1.3.9℃ 2.39℃ 3.390℃ って問題がもしあって、これを間違うやつがいたら、そいつは他が全問正解でも落第にすべき」みたいな話です。まあそう、なんか根本的な欠落があるじゃあないですか。
でまあ、今は極端なケースを問題にしましたが、反発くらいそうな方に戻って100点満点の60点を足切りラインにしますよ、って時に、たとえば61点ギリッギリで、しかし「ヤバ問」を落としている人間がいたとして、こいつが「合格」になるのはどうなのか、という問題があるわけです。現行のテスト制度では合格にせざるを得ないんだけど、いいのかそれで? という疑念は常につきまとうわけです。
そいではってんで、そのヤバ問の配点を50点とかにすると、つまり一問落とすと大落第になるような形にすると、こんだ合格水準が下がっちゃうわけですよね。基本は万人が解けるだろうって問題なわけで、ひとりのヤバイ奴を篩うために百人の凡夫を受け入れなきゃあならなくなる。って考えるとこれもダメ。
じゃあそもそも出さないというのはどうかと言うと、まあそれが現実的ではあって、そういう試し系の問題は出さないでおいて、ヤバイ奴の存在を確かめない。もとから、みんな間違っても仕方ないような難問にしておく。観測しないものはないのと同じですから、どの問題を間違ったところでまあ仕方ないっていうかね。
って、ちょっと現実から目を逸らしながら、遠い目をして、オトナってのはこんなもんさって顔して思ってたんですが、将太の寿司全国大会編とか読んで思ったんですけど、問題を突破型にするのはどうか。それこそ鉄鍋の醬! 2ndでやってるみたいな、まるばつでもなんでもいいんですけど、とにかく「この層の問題は一問でもミスったらその時点で失格」問題を配置する。まあある程度は明示しといてもいいかもしんないですよね。この部分は一問でも間違ったら即失格問題ですと。ただ正解しても加点はそんなに無いよって。
……ていうのは果たして受け入れられるかって感じはあるんですよねえ。まあ全国寿司大会に関しては、全国の寿司職人の頂点に立ちたいという高いモチベがあって、で、武藤鶴栄が意地悪やってくんのも許容範囲ってか、それ「コミコミ」での試験じゃあないですか。カクヨム有料化判定テストは、基本受けなくていいなら受けたくはないのを無理して受けて、で一問ミスったらアウトです、しかも出題者は現カクヨム運営だ(これは否定的な意味ではなく、あまりに賢すぎて愚民たる我々にとっての「難問」が、彼らにとって「ヤバ問」になる可能性が那由多の彼方にあるという意味です)。それは反発食うよなあ。食わないまでも、論争は起こりそうではある。
とするとやっぱ、複数回受験可にするのが一番だって何回か言ってますけど、そういうことなんじゃあねえのかなって思ったりもするんですよね。「実は人生で一度もきつねうどんを注文して食ったことが無かった!!」みたいなことはあり得て、で、それがあり得た時に、一回目はしゃーない落ちる。俺も「ビーフカレーがハヤシライス」だと長いこと思ってましたからね。でも二回目は、流石にそこで学習すりゃあ分かるでしょう。それで学習できないやつはそもそも適合してない。まあ学習できないやつほどキレそうな感はありますが、そこは運転免許の筆記みたいな感じで、「そういうもんよ」「この領域はとにかく暗記でいいから絶対落とすなよ」みたいに受け入れてもらえる風土を作る。どうやって作るかは分からないけど、なんかね、やっぱ一発勝負は辛いですよね。複数回勝負できるようにして欲しいですね。曖昧に終わります。