本日は前に投稿した『狼の狂夢』の解説をしていきます。
本当にありがたい事に解説を希望して頂けたのです。いやっほぃ。
上手くできればいいですが……(自分で書いたくせに解説に自信がないです(笑))
まずは今作を書こうと思った概略から。
言語は『私』と言う自我が存在して初めて組み立てられる、と仮定した場合、では言語を崩壊させれば自我は崩壊するのか? というテーマで実験的に書きました。
そのテーマの象徴が『狂犬病』ですが、本編には『狂犬病』、と言う単語を一切出てきません(ハズ!)。「私は狂ってる」って自覚している人を狂ってるとは言えません。つまり自我の崩壊とは対極になってしまいますので、『狂犬病』の単語は封印することになりました。
また、一人称で語るとき、『過去』や『未来』は『私』が想像した産物ですので、言語(自我)を崩壊させるにあたって『時系列を分解』させていく事と、過去、未来から切り離された『より刹那的な今』の表現が必要になりました。
そこで用いたのが、言葉尻をあえて書かない『文章の断裂』を多用することで、作中の人物にも、読み手にも、さらに書き手にも、一節の文章に長く滞在させない意識? 仕組み? を与えられないか、というアプローチもしてみました。
物語の解説に移りますと、全く説明もないまま、冒頭の描写では狂犬病で群れが崩壊した一匹の日本狼の語りから始まります。また、この狼は狂犬病の為、害獣として駆除される対象でもあります。作中に出てくる火の鉄の筒は猟銃を表します。
ただし、今作は『言語』と『自我』の関係性を描いていますので、脳の言語処理能力と言う点に注視しますと、冒頭の文章は『最後の日本狼に対して思いをはせる人間の思考(=青年の思考?)』と捉えても良いです。
次の章から青年の視点でお話が進みますが『魚の鱗みたいに蠢くプールの水面』と言う描写は水の揺らめきに極端な反応を示す狂犬病の症状を遠回しに示唆しています。またこのようなアプローチで狂犬病を示唆している文章を作中に何個か隠しています(解説していて気づいたのですが本当に意地の悪い書き方をしていますね(笑))。
プールで出会ったカナヘビとの独り言のようなやり取りは、言語生物(人間)と非言語生物(カナヘビ)の対比で、本作の目的である『言語の崩壊』が上手く行ったとき、青年の自我がカナヘビ(非言語生物)的な自我? に行きつきます。終盤に青年が床を這いまわり、女性のアキレス腱に噛みつく動物的な行動に行きつく理由に繋がります。
青年が解読する古文書も今作の鍵です。
この古文書は私の地元にある古文書解読サークル(おじいちゃん、おばあちゃんばかりの集団です)で解読した天保の時代の年貢台帳がモデルで、柿渋を付けた跡は紙が虫に食べられないようにするための虫よけだそうです。
この古文書を解読していた私が思った事なのですが、古文書が書かれた時代から数百年後にこの文章を読むという行為はある意味で『紙と言語を媒介としたタイムスリップ』のように感じ、そこから転じて作中の古文書は作中内の『時系列の崩壊』を作りあげるキッカケとして用いました。
『片方はツヅミグサ、片方はタンポポ』のくだりは時系列の崩壊と、言語の崩壊、その二つが同義に起こっている例です。
また、作品が青年ではなく狼? から始まるのも時系列の崩壊を表しています。
私が先か、幻が先か……まるで卵が先か鶏が先か、のような不毛な問いですが、胡蝶の夢のように答えの出る物ではありません。作中に登場する『卵売りの女』はこのような謎かけを暴き出すための象徴です。(本当に意地悪な書き方してるなぁ(笑))
作中で出てくる女性のマニュキュアの色の変化など、このような謎かけに類推する描写が幾つか隠れています。
《結論・回りくどい言い方をしてしまっていますが、言語は脆弱で時間などで変化するものだし、私(自我)もちょっとした出来事で機嫌を良くしたり、不機嫌になったり……と言った感じで理解して頂ければありがたいです。》
そして唐突に始まる『反物の卸を生業にしている柴屋には……の不気味なくだりですがこれは青年の自身の狂気に対する客観を表しています。孫兵衛と言う男=青年の構図です。
青年がウツラウツラしながら読んだこの文面は、自我の崩壊から主観を失い、客観に至った結果、見えた幻。のつもりです(説明がなさすぎ(笑))
終盤に至るにつれて狼の思考は過去と行き来する走馬灯の状態になります。ここでの描写では頭の中で時系列が氾濫し、一人称も俺、私、など混乱した書き方をすることで自我の崩壊を表し、最後の一節を『文章の断裂』を用いて唐突に終わらせることで死にゆく間際の刹那的な生を描いてい(るつもり!(笑))ます。
と言った感じで、自分の書いた小説を始めて解説したのですが、上手くできたかな。というか、そもそも自己満足な書き方をしすぎて作品として破綻してるんじゃ……((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
さて、上手い下手は置いておいて、自分の作品を解説するのは新しい発見が沢山あってとても勉強になりました。この機会にとても感謝しております。
それでは読んで頂けた方、本当にありがとうございました!