こんなところまでお読み下さり、ありがとうございます。
全体の後書きです。
世界各地の民話や神話を調べていきますと、不思議なほど、共通点があることに気づきます。中国の話が日本に伝わって変化したものもあれば、遠い北極圏の話が、日本のそれと酷似していたりします。
洋の東西を問わず、人間の発想は似通っている、ということなのでしょう。また、社会で暮らすためのルール(嘘をついてはいけない、弱いものいじめをしてはいけない、など)を教えるものだったからだと思います。
衣食住や習慣・価値観や宗教・自然環境が反映されていて、民俗(族)を学ぶ良い材料だと考えています。
地域性の強いもの、歴史の中でも決して有名ではない出来事を選んで、小説にしてみました。
なお、個人的な好みにより、北欧・ギリシャ・ケルト・イスラム・エジプト・日本・中国などの、比較的有名な神話や民話は題材にしませんでした。
アフリカや中南米・オセアニアなど、含まれていない地域が沢山あるのは、私がこの地域に関心がないわけではなく、資料を集めていないからです。また改めて、勉強しようと考えています。
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第一話『話す木の葉』
ネイティヴ・アメリカンと白人の対立は有名ですが、戦争ではなく、共存のために努力した人々について描きたいと思いました。セコイアは、かなり偏屈者で、奥さんには嫌がられたそうですが、絵を描く彼が最初に「象形文字」を創ろうとしたことに、親近感を覚えました。
第二話『はんざき明神』
古くから生きてきた巨木や動物には霊魂が宿るとして敬う思想は、各地にありました。人間が目先の欲望に捕らわれ、自然を畏れる心を失ったとき、仕返しをされる(祟りを受ける)という戒めだと考えています。
オオサンショウオが、好きです。
第三話『Thaksgiving』 (『話す木の葉』続編)
白人と共存するために努力したエリアス達ですが、その後、チェロキー族は土地を奪われ、『涙の旅路』で多くの同胞を失いました。この時、山に篭って抵抗を続けたチェロキーの人々を、トーキング・レインに象徴させています。
自分達の誇りや価値観(文化)を失った現代のネイティヴ達には、アルコールや失業、貧困などの問題が存在しています。当時のエリアス達の努力を思うと、胸が痛みます。
第四話『イオマンテ』
最初、アイヌ文化について勉強したとき、私は違和感を覚えました。生き物を殺す行為を美化しており、人間の勝手な気休めではなかろうか、と思えたのです。
しかし、「美化」や「気休め」ということなら、私は、自分で鶏や牛を飼うことも殺すこともせず、スーパーで購入した肉や魚を食べ、皮革製品を身に着けています。生命を敬う感覚はありません。
果たして、どちらが欺瞞だと言えるでしょうか。
第五話『イッカクと少年』
嘘つきで弱い者を労わる心を持たず、欲張りで罪を悔い改めない者は罰せられるという、王道の民話です。北極圏らしく、オーロラやクマ、ベルーガが登場するものにしました。
第六話『鬼の城』
『桃太郎』の鬼は、一言の弁明もなく「悪」だとされていますが、本当にそうだったのでしょうか。「歴史」を別の角度から考えてみたかったのと、古代から「鉄の国」だった中国地方で、製鉄が環境をどのように変えてきたのか。農耕・漁猟民との対立や、当時の文化について描いてみたいと思いました。
第七話『蛙』
チベットの民話を読むと、何故かほっとします。私の中に仏教的な価値観が存在しているからだと思います。
蛙は……好きなんです。はい。
第八話『ででぽっぽ』
第六話と同じく、私の郷里の民話です。四国ではお遍路さんをみかけますが、肘折では、道者さま(山伏・修験者)を大勢みかけました。どちらも、最近は観光ツアーまであるそうです。
山伏を描くことも難しかったですが、最上弁と標準語と「山伏ことば」の併記に、かなり戸惑いました。
第九話『森の主』
民話には、動物と人が結婚する話がとても多く、人々がいかに自然(野生動物)と近い距離で暮らしていたかが解ります。シベリアの人々にとって、生態系の頂点にいる鷲や熊や狼などの動物は、人にはない能力を持つ「神」でした。
狼(犬神)は、大好きです……。
第十話『しまなみの歌』
有名な日本の海賊、村上水軍の話です。中世の海民と陸に住む民の価値観の違いを描きたいと思いました。私が毎日見て育った海です。
どんがめは、好きなんです……(←もういい)。
第十一話『運命の鉄筆』
ヒンドゥー神話は、ヴィシュヌとシヴァに関するものが多く、ブラフマンの話は珍しいです。また、因果応報や男尊女卑・身分差別を説くものが多いのですが、運命神をだしぬくしたたかさに希望を感じました。
インドの民話には「とんち話」が多く、楽しいです。
第十二話『コヨーテの星』
ナヴァホ族の創世神話の一部と、現代の宇宙科学をモチーフにしました。
カール・セーガン博士へ、哀悼をこめて。
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シリーズ名『掌の宇宙』は、チベット仏教や理論物理学との関連性が指摘される英国の詩人・画家 W.ブレイク(1757―1827)の言葉からです。
短編であっさりと読める、読後感の「ほのぼの」したものにしよう、と思っていたのですが、案外、難しかったです。
民話は、結末が残酷なものが多いのですよね……。
それと、
今回は、地道なフィールドワークによって民話や風俗を蒐集・研究しておられる人々の文献(一次・二次資料)や歴史書を、沢山参考にさせて頂きました。
数千ある民話や歴史上のエピソードの中から、この十二話としましたのは、全く個人的な好みと技量の問題です。
また、民話や民謡は、本来『口承』の芸術です。語り手と聞き手がその場の雰囲気に合わせ、相互に演出を加えながら創り上げ、伝えていくものだとされています。
文字(日本語)を使う『小説』という形式にしたために、民話本来の魅力が損なわれてしまったと思われる部分や、歴史・民俗・言語学的考証が不充分で間違っている部分の責任は、私個人にありますことを、おことわりさせて頂きます。
お読みくださいまして、ありがとうございました。お気に召して頂ければ幸いです。
作者 拝