普通になりたいのに、普通になれない。 　その苦しさから解放されようと身を投げようとしたボクを、彼女は阻んだ。 「死んでも、やめなさい……お願いだから」 　泣きながら訴える彼女が…

　三上ソラノは男の中の男だ。 　少なくともこのクラスの男子は、誰もが三上のことをそう認めている。 　三上は、女だけれど。 　ある日僕は、そんな彼女が公園で転がり、心から叫んでい…

　脳梗塞で死んでしまった貴方の忘れ物、それは下書きだけして送れずにいたたくさんのメール。 　一日、また一日、そのメールを読み返すことが、私の新しい日課になった。 　貴方の足跡が、…

　寝ぐせ――それはぼくにだけ伝わるメッセージ。 　面倒になって放置された碧依のだらしのない寝ぐせは、両親が出張し、かつ家事が面倒になったタイミングを示すもの。 　だから今日、ぼく…

くたびれきった男は、妻のいない家で孤独に暮らす。 そんなある日、男は偶然目にした下駄箱の古い紙箱をきっかけに輝いていた日々のことを思い出す。 あるいは、苦く、甘酸っぱい過去のこと…

　重心を少し後ろに寄せ、後ろ足に力をためて伸びあがるように跳ぶ。それはまるで、力を溜められていた弾性体が急激に変形、地面を押して飛んだかのよう。 　美しい放物線を描きながら飛ぶ猫…

　坂部有為はしがない司書だ。 　夢を見て、挫折し、それでも物語にかみついて離れなかった女は、一冊の絵本と出会って再び歩き出す。 『まおうさまはあいをつげる』 　その絵本の内容を、…

　これは、僕の原体験の話。 　あるいは最も古い記憶であり、失敗からの学びでもある。 　年末。保育園では発表会が行われていた。 　当時年少だった僕たちの発表内容は「将来の夢を語る…

　12月25日、クリスマス。 　遊園地の入り口に足を運んだ彼に、受付係の女性が言う。 「カップルですか？」 　ーーその言葉に、男はひどく恐怖した。

　ガレージの中に置かれた場違いなメノウ。目のようなそれが動き、自分を追っている気がする―― 　母に相談すると、やや気味が悪そうな顔でどうしてあのメノウをガレージに置いてあったかを…

「おろしの季節だねぇ」 　寒風に吹かれながら、おばあちゃんは思い出したように告げた。 　そうして私は、今晩の料理を鍋に決めた。 　一時的に退院した、一日限りの夕食。最後の晩餐なん…

社会人に夢を見ていた俺の現実は残酷だった。 社畜としてこき使われる日々は心身をひどく摩耗させる。そんな状態で雨の降る空の下に出ていく気力はなくて、ただぼんやりと屋根の下にたたずむ…

　寒空の下、男は煙草を吸って――盛大にむせる。 　そんな男のもとへ、夜の花が声をかける。ドレスを着こみ、完全装備をした女は、吸えない煙草の臭いを衣服に染みつかせた男に脅威を持った…

渡良瀬一歩は死が見える。 すべての人の頭の上には数字があって、それは余命を表すものだった。 多くの人は六桁。年数と、日数。 そして、渡良瀬の父の余命は、すでに10年を切っていた。…

若き芸術家は、売れない画家だった。 かつて胸を焦がしていた強い思いはなく、それでも描きたいのだという意思と、描く以外に生きていく方法を知らないという後ろ向きの理由で、彼は筆を取り…