恋愛モノとバトルもの、まったく描けないとおもっていたのですが、Twitter(旧X)の創作論アカウントを読んでいたところ「少年漫画におけるバトルシーンはすべからく主人公による敵キャラのカウンセリングである」という論説がありまして。
バトル漫画をあんまり読んでこなかったワシですが、なぜか一年ほどカウンセリングを味見ていどに勉強した時期がありますので、ほへー。そんな視点かあるのか。それならバトルシーンを解剖して研究できるかもしれない。なんて安直ですがおもいました。なんでもやっておくものですね。
で、バトルシーンの練習として、今回の『ないてさけんで(以下略)』の舌戦シーンで擬似的にバトルカウンセリングを試作してみたわけですが、ここ(1-6)で出てくる駆け引き(ツカサが相手の心情を引き出す)や、手芸部という大多数の代表役には心情的に理解しがたい専門家が特殊な知識でさだめた〝新しい一般常識にしてほしいルール〟とのぶつかり合いが通常技の攻防だとすると、法律や条例がバトルものの大技と中技あるいは必殺技(1-9で登場)となって物語世界におけるリアリティラインとルールの上でどちらが正当性を持つかが、バトル展開。そんでバトルの決着は、どちらの勝敗でなくそのバトルを始めざるを得なかった敵ボスの内面的な葛藤と隠してきた本心の吐露。そうかんがえるとこんなかたちにできるかなというのが本編1-6〜1-9にだせてたらいいなというところです。
たぶん読みにくいです。こなれてないんで。(すごいエクスキューズみ)
なにせワシは、物語りレベル3くらいの駆け出しですから、習作を晒してばかりでお目汚し大変恐縮ですが、「ほーん。朱やんはまだこんな幼稚園レベルか。ほほえましいのう。まあがんばってな」てなかんじであたたかい目で見ていただけたら嬉しいです。
そんで昨日公開したぶんの宣伝を忘れておりまして、ちょっと朝からさせてもらいます。3000字クラスと私にしたら長文なので、ご面倒でなく「朱が苦手なバトルやってみたんだってよ。どれオラがみにてやるべ」って方がもしあればですが、よかったらご覧ください✧*。٩(ˊωˋ*)و✧*。
『ないてさけんでいのちが助かるのならオマエらの部活に存在意義なんかねえよ』①台場ツカサと山戸タケシの場合 1-6
https://kakuyomu.jp/works/16818093081469485031/episodes/16818093081602096623