近況ノートすらずっと更新できていなくてごめんなさい。
日本人がなぜ無宗教を気取るのか、を、「正義とは何か」と絡めてまとめようとして、
んで、度ツボにはまって「これじゃ伝わりにくい」「これじゃ説明になってない」と自己だめ出しをしているうちにかけなくなってしまいました。
簡単にいえば、「大災害で風土が変わりかねない日本では『特定の考え方だけが正しい』では生き抜いてこられなかった」
「だから『話し合い』と『どこかで落としどころに合意する』が半ば正義の定義だった」
そして自然崇拝の一環としての先祖霊を高く敬う社(やしろ)ができ古事記、日本書紀によって神々の体型がなあんとなく形作られた。
そこから先の「神々萌え」については日本人の独擅場だった。
仏教の仏様も、ヒンドゥー教の神様も、china大陸の仙人も、皆等しく「八百万の神様」だった。
仏教とはもともと「試練教」で、試練を超えた悟りの先に六道輪廻から超越した仏の世界に入ることで、もうグレードダウンはなく高みへ、さらなる高みへと清められていくという、「精神修養」の論理だったのに、日本人は簡単にねじ曲げた。
「南無阿弥陀仏」と唱えた数だけ天上へと進みやすくなる、とはいうが、阿弥陀如来にお願いするのに数を唱えなければならないというのは、本当に阿弥陀如来のすごさを理解出来ていないのではないか。
阿弥陀様ほどの如来であれば、一言唱えさえすれば、我々衆愚の願いを聞き止めて下さる。逆に修行に凝るということは、阿弥陀様への仏徳讃嘆から離れる行為だとした。
そして坊主が妻帯することも、肉を喰らうことも禁忌としなくなった。
そしていつの間にか仏式で葬儀をおこなえば「成仏」した事になり、
さばかりか昨今では葬儀に坊主を呼ぶことすらしなくなっている。
その上で火葬された遺骨、遺灰を壺に収め、墓にうずめ、「これで故人も成仏したね」とひとしきりのしきたりを守った気になっている。
聖徳太子が広めた仏教は、こうして一五〇〇年あまりをかけて、八百万の神々に習合せしめた。
太子よ、主のはかりごとに日本人は染まりませなんだ。
イエスを名乗る救世主も、日本の漫画文化にかかれば、ガウダマ・シッダルタとともに八百万の神々の一柱の扱いに落ちる。
ムスリムたちは未だ日本を弁えぬから、日本にムスリムの教えを持ち込もうとしているが、「神」を無理に押しつけられたときの日本人の覚える屈辱心と怒りを知らぬからであって、すこしずつ日本を知るうちに、日本で奇行をおこなうことを伏せるようになるだろう。
結局、日本人にとっては一つの宗教に囚われることは「私は重大な環境変化があっても、適応せず我が道を我が儘に進みます」という宣言であり、「無宗教です」という表明は、
「神は八百万の数ほどいるので、どれか一つの神にのみ仕えるのではなく、どのような神様も等しく(神道的に)大事にし、そしてその場、その状況に合わせて周囲と差し障りないよう、他人のいやがることは避けて、隠して、生きていきます」
という表明なのだ。
日本人を単なる従順な存在として捉えるべきではありません。
本当に洗練された日本人は、多神教的な信念を捨てていません。。
We should not perceive Japanese people as merely obedient beings.
Truly cultured Japanese individuals do not abandon their polytheistic beliefs.
深い意味はないけれども、日本語で日本人が言っても意味のない言葉なので、さしあたりchat-GPT先生に例文を食べさせた。
英文についてはどこまでそれなりの意味を纏っているかは知らん。
いずれにしても、先祖零崇拝と、自然物崇拝の混交した「お天道様が見ている」信仰を我々は捨てることができない。
寡聞にして「私は洗礼を受けた救世主教徒ですから」という日本人で、「いただきます」をいわない人に会ったためしがない。
救世主教では食物は悉く、神から与えられた物質に過ぎないが、日本人はその食材がかつて健康に生きていたことを捉え、かつ自己よりも一段目上の存在として「(あなたの御霊を)いただきます」と唱える。
いただきますをいわずに食事を始める国の方が多い。
というより、そんなこと言わないのが当たり前、いってもせいぜい「救世主様の祝福に感謝を」とあくまで自ら信心する神に祈るのであって食材に祈るのではない。
日本人は、如何な救世主教徒といえども、「いただきます」もいわずに食事をするのは、何とも不作法な気がしてならない。
なぜか、
それは私達が日本人だからだ。
日本人は確実に一つの宗教体系に属している。
山本七平はそれを「日本教」と名付けた。
それすら嫌う人に、「日本教」というとらえ方を執拗に説くのは無粋というものだ。
ラ・ロシュフコーはいった。「何人も太陽と死を見つめ続けられない」と。
(日本)人は自己の死と直面したとき神に祈る。
死を直視して受け入れることができずに、死から目を離す先として神を求める。
自分が「日本教徒」であることを頑なに否定する人ですら、いや、そういう人ほど、自らの死に当たっては神に祈る。
簡単にいえば、「大災害で風土が変わりかねない日本では『特定の考え方だけが正しい』では生き抜いてこられなかった」
「だから『話し合い』と『どこかで落としどころに合意する』が半ば正義の定義だった」
それが大人であり、いつまでも不満をぐちぐちたらすのは女子供のすることとして捉えられた。
この場合の「女子供」とは「大人の庇護下にあるもの」の意味で特別女性を抜き出してけなした言葉ではない。
現に自ら話し合いに参加し、落としどころを提案し、周囲の意見を導いていく女性を「女」扱いする向きは少ない。
少なからずいるが、それは結局日本人としての教養不足の「子供」である。
年を取っただけでは「大人」にはなれない。
先人の歩んできた道を俯瞰し、己を客観視した像と見比べて、己のルーツ(根源)が那辺にあるかをぽつり、ぽつりとプロットして、そしてできた図形の歪さを弁えて、弱みは弱みと認めて他の力を借り、強みは強みとして発揮して他の力となす。
そういう人を大人といい、そういう大人達の会議を「議会」という。
残念ながら日本は、その意気をアメリカに挫かれ、赤化の工作員に蹂躙されたままではあるが、それでも「大人」は存在する。
その大人の決めた法理に従えば国は栄え、内憂外患の悪意が決めた法理に従えば、国はやがて滅びるだろう。