なるほど、これがリアル、と思わせる考え方

 えー、投稿ばかりで「お前ちゃんとプロット考えているの?」

 とおしかりを受けそうですが。

 「北海道は対蘇防共の擁壁」ともいえる地政学上の位置にあるのに、どうして米国軍兵士が大量に常駐している基地がないのか、というお話し。



https://www.youtube.com/watch?v=SpXitcti7IE



 動画は八分と短く、字幕も付いているので二倍速でも内容を理解出来ます。

 この動画を見て素直に思ったことは、「なーるほど、確かにその手が取れる」

 そして沖縄は、まあそれとして、他にも神奈川なんかには米軍基地及び関連施設がかなりの数所在しているが、それには、「北海道に侵入してきた敵性兵力に対するカウンターアタック対策」としての「ソレ」は使えない、むしろ一定限の平和が約束されている良い状態といえる、とも思った。

 そして、日本人にとっては余りに惨めな「その手」を取らせないためには、専守防衛など、所詮「子供の放つ綺麗事」でしかなく、敵基地先制攻撃能力を保持しなければ、いざというとき、北の大地が死の大地になるのだと理解させてもらった。



 以前にもいったけど、日本人は夢を見すぎている。

 他国から日本に核爆撃を実施され、例え数百万人が蒸発し、数千万人が一週間以内に死に、更に倍する人々が長い後遺症に苦しもうとも、「絶対に」



 「絶対に!」



 アメリカは日本を攻撃した他国に核報復はしない。

 これは、核を保有し、日本に撃ち込むことを想定したことのある国々が当然のこととして理解している真実だ。

 なぜか。

 日本にとってアメリカは、最重要な交易相手であるとともに、戦後の日本は、大きくアメリカ文化圏の中で国際的地位を回復し、アメリカ軍の常駐を許してまで軍事同盟を結んでいる唯一の国かも知れないが、アメリカにとっては数ある軍事同盟の、しかも広大な太平洋を挟んだその向こうの島国との「多数の軍事同盟の一つ」に過ぎないからだ。

 日本が、主に日本の周辺諸国によって核攻撃を受けたとする。

 アメリカ世論は日本の三度目、四度目の核攻撃を、自分たちが実施したヒロシマ、ナガサキとは違い、無意味かつ人道に反する無慈悲な虐殺と受け止め、嘆き悲しんでくれるだろう。

 そのタイミングでアメリカ政府の、あるいは国防総省関係の、あるいは軍事専門のシンクタンクの有識者の、誰かが一人でも「同盟国の日本が核攻撃を受けたのだから、攻撃国に対して、日米軍事同盟に則って、核反撃を与えるべきだ」といった瞬間、アメリカ世論は日本の悲劇を嘆き悲しんだのと同じ熱量で、いや、それ以上の熱量で、こう答えるだろう。



 「とんでもない!」

 「愚かしい発言を許すな!」



と。

 そして続ける「お前もあのトキオの惨劇を見ただろう?

 あれと同じことがアメリカ本土で起きても心が痛まないというのか?」

と。



 そう、日本が三度目、四度目、五度目の核攻撃を受けたとしても、それだけならアメリカにとっては「お気の毒に」というぐらいか、ことさら「大東亜戦争の終幕の要因となった核攻撃とは違い、今回の核攻撃は全く理由のない、非核国日本に対する虐殺だ」と、はっきりと自国が過去に起こした蛮行と、新しい蛮行を違うものだと論証するような発言に終始するだろう。

 しかしそのことを要因として、アメリカが他の核保有国に核攻撃を加えるとなったら話が違う。

 今度は、その事実を論拠として、核報復を受けた国家がアメリカに反々核攻撃を実施する口実を与えることになる。

 その前に散々なぐらい、米マスコミと、日本人配信者によって、トキオの惨劇が生々しい映像として、それこそトラウマになるぐらい見せつけられているのに、「アノ」惨劇が自国に襲いかかるとした考えを持つだけで、計り知れない恐怖を抱くだろう。

 そして「なぜ自国にそれだけの犠牲が生まれる切っ掛けを敵に与えるのか」

 「そもそも、日本なんて事実上の都合の良い属国だろ」

 「止めて! 日本のような悲惨な光景が私の街に訪れると考えるだけで、胸が締め付けられるわ」

 と、トキオの惨劇を悼んでいた人も、そうでなかった人も、アメリカ国民総人口のトリプルクォーターを超える割合の人々が、「日本の悲惨は日本のもの」「アメリカの平和は私達のもの」と区別して考え、それどころか大規模デモなどの示威行為に走るだろう。



 この週末の投稿のどこかでも書いたが、皇位継承権を持つ皇族が、等しく皇居周辺に偏在して在住していること自体、危機感が本当に薄いと感じさせる。



 軍事行動に拙速はあっても、巧久はあり得ない。

 だから最初に、自らの持てる最大戦力を持って、できる限り大きい被害を与えることが勝利の鍵となる。

 ならば、東京都心、皇居を軸に核攻撃をするのが、最も自分たちへの被害を最小限に食い止め、そして日本を瞬く間に降伏させる、最も安易な作戦だということは、素人の僕でさえわかる。



 露宇戦争によって、偽りの冷戦というモラトリアムは虚構でしかなくなった。

 ここで侵略をうけた宇克蘭がほんの少しでも国境線を譲って闘争行為を終えれば、それは軍事力による領土拡大を、国際社会全体に「有効な国土拡張の一手法」として認知させることを意味する。

 今は新たな大戦、もしくは大国による周辺国への侵略の前夜なのだと理解しなければならない。



 未だに生き残っている団塊の世代には、そろそろ国政に対する嫌がらせを『実行力を持って」控えていただく時期が来ている。

 氷河期世代ど真ん中の僕が言うのも何だけれども、僕たちの亡き跡をになう、子供達の世代に、そんな荒廃した未来を残すわけにはいかない。



 もう、僕たちには迷っている時間なんてないんだ。

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