僕には学がない。
それは本質を知るためには学校にいては駄目だと思ったからだ。
僕には偏った雑多な知識がある。
でも、「オタク」と呼んでもらえるほど、卓越した分野はない。
ただ、半世紀近くをこの国で生きる中で、心の中に、何なのかはわからないけれども、「何か」を抱いている。
それが何なのかは言葉では言い表せられないし、その「何か」に寄り添うような行動を取ることもあれば、全く背くような行動も取る。
その「何か」は僕を拘束しないが、その「何か」は僕の表の顔、裏の顔、裏にもみせない第三、第四の顔を知っている。
その「何か」を見失うことで、僕は精神病になったし、今でもなるし、その「何か」を再びみつけることで、僕の心は落ちつきを取り戻したし、今でもそうだ。
それは決して有り難いものではないし、心を乱すものでもない。
ただ、大きな決断をする時に僕は、その「何か」と対話するように意見を闘わせながら、結局はその「何か」に背く選択肢を取ったり、「何か」に沿うような道を選んだりする。
その「何か」が「何なのか」はわからないけれども、他人の中にある「何か」に気がつくことがあり、その時は「俺もこの人も日本人なんだなあ」と思う。
その「何か」に気がつく、あるいは「何か」を認識できる切っ掛けとなりそうな動画をみつけたので、ここに張っておく。
https://www.youtube.com/watch?v=21IZvxzyJzk 僕たち日本人は、どんなに孤独にあっても、その「何か」を認識する限り、決して単独の存在にはなれない。
ただただ、日本人にしかなれない。