苦手科目はとことん苦手です。
運動は特に苦手で、三次元空間を移動する物体を捕らえる、すなわち球技は大の苦手です。
ノックも含めてバットにボールを当てたことがありません。
実は、人様の小説を読むのも苦手です。
でも、カクヨムで少し、よそ様の小説を読んで、面白いな、とか、勉強になるなと思った小説にはレビューもしました。
唯一、よめるのが幸田露伴の五重塔で、これだけは何度読み直したかわかりません。
露伴の、他の作品はぴんとこず、五重塔ばかり読み直しています。
「偏るよなー」というのはわかっているのですが、苦手科目は昔からとことん苦手です。
「生きる」という課目も大の苦手です。
十年下の上司がいます。
生きるのがとても上手だと思います。
それは理解出来ますが、まねすることはできません。
私にはその技量がないのです。
ただただ、感心するばかりです。
人とふれあうことが苦手なのです。
人とふれあわないで生きていきたいです。
何でこんなことを書いたかというと、アデル・ヴァイスのプロットが80%の完成をみたからです。
話の本筋は整えました。
あとは、サブキャラクターの持つ要素を少し考えながら埋め込んで、プロットとサブキャラ要素を絡めながらあらすじをたてれば、あらすじを詳述する形でアデル・ヴァイスに着手できます。
でも、それがおもしろいものになるのかどうかが暗闇の中なのです。
プロットは教科書から抜粋したノートを元に書きましたので、「形」にはなっていると思います、が。
八十枚の作品とか、百枚の作品とか、四百枚の作品とか、何で決めるんでしょうね。
そういうことがわかっていないないまま書くから、無駄な表現、足りない表現が生じるんだと思います。
それでも、物語の本質への天恵を先日夢告にて受けました。
たったその一つの夢告のシーンを小説にするために、また、数十万文字の作品を書くことになると思います。
輝巳につづく黒色光条の持ち主のやつれた少女、その少女の成長過程を通じて描かれる「健康な愛とはなにか」を書き切れればと思います。
あ、リアルがやばいのは継続中でリアルのやばさで途中で筆が折れるかも知れませんが……。
現実生活と切り離して執筆ができたらこんなに幸せなことはないのですが、二人の子供達の幸せを形作りたいという夢もありまして……。
無垢なこの子達に貧乏でも最低限の幸せを与えたいのです。
両立させます、頑張ります。