プロローグの推敲のため、永倉新八の生まれた台東区小島町界隈を久しぶりに訪ねた。
下谷三味線は、現在、小島一丁目にある都営住宅になっており、堀などは影もかたちもない。そこから南に15分ほど歩くと御典医だった伊東玄朴の屋敷跡(史跡看板あり)がある。若き日の久坂玄瑞が寄宿していた屋敷で、その隣にあったのが、伊庭家の道場「練武館」だ。
このように舞台となった場所を歩き、江戸の切絵図を眺めていると、永倉新八、伊庭八郎、久坂玄瑞は、当時このあたりで、一度はすれ違ったりしたのは間違いないだろう、という妄想が拡がり、それが物語の原動力になっている。
今度は久しぶりに、甲州街道沿いにある、昨年、都の有形文化財に指定され保存が決まった歳三と勇の書の師匠、本田覚庵の屋敷から日野まで歩いてみようかと思っている。ちなみに、日野とは反対側に向かって歩くと松本捨助の生家がある。