「ようやくお目覚めかい?」
角の生えた女が口角を歪ませる。
「そうとも」
「労働の対価がチープなのはいつの時代も同じ事だ。対価に期待するなら労働をさせるか、乾坤一擲の勝負師として生きるしか術はない」
真理めいた台詞を吐く緩やかな巻き角の彼女は僕の妄想の産物である。ペフレカ…と勝手に名付けている。彼女は「好きにしたまえ」としか言わない。
「何故スーツなのだ?」
「悪魔とはビジネスマンだからだよ」
「悪魔なのか?」
「人間とは悪意の塊だ! そこから転び出た私が悪魔でなくてどうする」
「そうか…」
ペフレカは赤と黒の如何にもらしいストライプの細いネクタイを緩めて胸元を開ける。彼女の豊満なバストは僕の理想型よりやや大きい。
「本当は僕の妄想じゃないのか?」
「…」
返答はない。生々しい息遣いと足を組み替える動作がミラー越しに見えるだけだ。首都高から湾岸線へと進路を変える。
「お前は何がしたい?」
「観察。其方は?」
「其方…」
急に畏まるのはビジネスマンを気取っているからだろう。
「僕は何がしたいのだろうか」
返答に困った、実に困った。
考えた事もなかったのである。
「結婚は?」
「興味がない」
「財産は?」
「厄災の種だ。必要な分だけでいい」
「ドラッグは?」
「生まれてこの方見た事無い」
誘導されている気配はないし、むしろ胸の奥のつっかかりが取れていくような心地だ。
「愛は?」
「ペテン師の常套句。実在しているとは思えない」
「名声は?」
「さあ。承認欲求と言い換えても良いのなら多少は」
「答えが出たようで良かった」
ペフレカは一仕事終えたように(実際彼女としてはそうなのだろう)伸びをして僕の飲み掛けのコーヒーを飲み干した。僕の喉は乾いたままだ。しかしコーヒーは確実に減った、物理的にあり得ない筈。
「ありがとう。お前は誰なのだ?」
「ペフレカと呼んでいるじゃないか」
「それは僕の中でだけだ」
「私は君の産物なのだろう確か? それが真実で相違ないのだよ」
これは誘導されている。ペフレカの実在性について僕は関心がない。
「いいや、違う」
「違わないとも!」
「…それがお前の望みなら、そうしておいてやる」
「随分上からだね」
「お前が僕の産物なら当然だろう」
「…それが君の望みなら、そうしておいてやろう」
ペフレカの背後から後続車のライトが急速に近付いてくる。僕は左へと避けて道を譲った。
「意趣返しとは随分…」
振り向くと悪魔だか妄想の産物だかの女は掻き消えている、煙すら残っていない。それがかえって僕に疑念を与える。
「妄想の産物なら勝手に消えないで欲しいものだ」
僕は飲み掛けられたコーヒーを
ひと息に飲み干した。