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②【共通・一章、二章】芳中国周辺地理情報

※最下部に地図が御座いますので合わせてご利用下さい。

・|芳中国《ほうちゅうこく》
 京より西に位置する国。|芳《よし》の国の中部を占める。南に内海、北に山を抱え夏場に少雨となる気候。在京守護の飛田氏が守護を務め、総石高は十五万石程。
 国内では南の芳野平野の守護代三原氏と、実野盆地の守護代実野氏との対立が長年続いており、国外に目を向けると西の芳後国との境界争いが起こっている。

 ・|芳野《よしの》平野
  芳前国、芳中国南部に広がる沖積平野。両国の生産力の大半を占める。
  平野の内、芳中国内は守護代三原氏が守護領も含めて治めている。
 ・|実野《みの》盆地
  芳野平野から前実野山系を挟んで北に位置する盆地。
  守護代実野氏が治め、芳野平野の三原氏と対立している。

 ・前実野山系
  芳野平野と実野盆地の間に位置する山々。
  左程峻険ではないが武装した兵が越える事はかなり困難。
 ・奥実野山系
  実野盆地に北に聳える山脈。日の本を東西に貫通する脊椎山脈の一部。
  非常に峻険で冬季は雪に閉ざされる。幾つかの踏鞴場も在るらしい。

 ・実野川
  奥実野山系に端を発し、実野盆地、芳野平野を潤し南の海へ注ぐ芳中国随一の河川。
 ・中西川
  実野川支流。
  中後国境に端を発し、芳野平野南西部を西から東へ流れ実野川下流で合流する。
 ・山之井川
  実野川支流。
  前実野山系に端を発し、芳野平野北西部を北から南へ流れ実野川中流で合流する。
 ・中川
  実野川支流。
  前実野山系に端を発し、芳野平野北東部を北東から南西へ流れ実野川中流で合流する。

 ・奥津の湊
  実野川河口部に位置する湊。
  芳中国随一の湊であり町。商業の中心となっている。
 ・田代の町
  守護代三原家の本拠、田代城の城下町。
  国内二位の町であり、奥津の湊に対し政治の中心となっている。

==作者解説==
 芳中国は現実世界での備中国をモデルにしています。しかし、十分な下調べをせずに舞台設定をしてしまった為に、大きな相違が生まれています。それは作者が東京産まれ、東京育ちである事が大きく影響しています。
 その大きな相違とは、平野のサイズ感が全然合ってない!!という事です。もちろん関東平野に比して圧倒的に狭い平地という知識はあったんですが、それでも規模感の違いは埋めきれていませんでした。
 例えば、若鷹丸達が山之井の南の尾根から海を臨む場面が有りますが、ここから海までの距離は作者の脳内では高尾山から東京湾を望む、位の距離感だったのですが、この距離は実際には40km以上あるのです。ところが地図を見てみると、現実の岡山平野は埋立地を含めても海から山までどう多めに測っても20kmがいいところ。干拓や埋め立てを考慮すれば当時は10kmもなかったことでしょう。ですので、読者の皆様には芳野平野は現在の岡山平野程度の規模で現実よりもかなり平坦であると想像して頂ければと思います。
 また実野盆地についても規模の設定に問題があり、場所的には実野川は高梁川、実野盆地は高梁盆地を想定した位置関係なのですが、東京者にとって盆地とくれば甲府盆地、ということで実野盆地の規模もそのくらいで想定してしまったのです。ところが高梁盆地はおろか、津山盆地ですら甲府盆地より小さかった。
 ですので、結論としては倉敷から高梁川沿いに20km平地が続き、総社辺りが三田寺、そこから一山超えると津山盆地というようなイメージでお読み頂ければと思います。因みに、山之井川流域は総社駅から高梁川を挟んで西側に流れる新本川流域程度の規模を想定しています(山之井、板屋両方で。)。

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