近況。
モノ柿としては特にありませんね。
何もない毎日を、ただただありがたがっています。
たまに映画(アニメ)とか、一巻から買ってる大人気ラノベの新刊とか、そういう非日常を味わうことはありますが、概ね平均的に当たり障りのない毎日がめぐってくる。そういう感じの近況です。
ここからは書きたいことを書いていきます。主になるのは山野を書いているときの話になります。
自分の一年連載している『山野太一の勘違いと、愚痴と、それから…』という作品では、バッドエンドは絶対にありえないという前提で話を進めています。
もう何度も言っている事なんですが、自分は全うな書き方をしていません。
設定をつくり、話の構成を作り、会話文を作り、一つの物語として落とし込む。
そんな風に綺麗に作っていたとしたら、もっと早く連載を終えていたかもしれません。
自分の作品の執筆方法は、頭に浮かんだ情景を文字にする。というものです。
流れていくアニメーションを追っていき、追々ながら話を知りつつ言葉にしていく。そんな感じ。
だから正直自分でもこの物語がどんな話になるのか全くわかっていません。
書き手が物語の全体像を知らず進むんですから、当然視野は狭くなりますし、視点人物以外の説明はおろそかになります。
では何故こんな書き方をしているのかといえば、自分がこんな書き方しかできないからというのもありますが、そもそもこんなにぐちゃぐちゃしたはなしにする気がなかったからです。
話が迷走し始めたのは、結構冒頭で、由利亜の家に行くあたり。
押しかけてきて、住み着いてしまった先輩の家に挨拶に行く。
高校生男子にこの行動が本当に取れるのかと聞かれれば、絶対的にノーでしょう。
そもそも押しかけてきた先輩二人を家に住まわせることができる高校生がいないという正論は無視します。
由利亜の家で何が起きたか、そう、太一の兄が登場しました。
「なんだこいつ。」
自分の最初の感想はそんな感じでした。
そういえば、カクヨムではあまりおおっぴらに言っていませんが、自分がこの物語を書こうと思ったきっかけは、
「大学で相手にしてくれる優しい先輩いないし、自分で作っちゃお」
というところからなのです。
巨乳のロリっ子と、美人の先輩にいじめられたい。そんな感情の元に生み出された物語が、『小説家になろう』での連載ではすでに神様との交流を終えました。
ただの変態の妄想は、中二病を発症させ、なんかもうどこに向かってるのかわからないところまで引っ張っていってしまいました。
おっと、脱線が過ぎます。
少し巻き戻します
迷走し始める前、物語の進行はただひたすらにタイピングするだけで描かれていきました。
イチャイチャするだけなので当然といえば当然ですが、その迷走が始まってから、文才もストーリーの才もない自分に、唯一、たった一つだけ、才能があることが判明しました。
それが、『どんな状況からでもバッドエンドに持っていける』というものでした。
気づくのはかなり早かったです。
ひたすらタイピングするだけの執筆方法なので、読み返してみて投稿するという手順を踏むことになるのですが、ある話数あたりから、結末がバッドエンドでしかつかなくなったのです。
こりゃいかんと思いました。
一人が悲しんで、姿を消す。これくらいならまだいい。
でも、大勢が死んで、主人公がまた一つ心を閉ざし、残された片方のヒロインは何も言わず家を出て行く。
そんな物語になるのだけは避けなくては、と。
元がイチャつくだけのお話だったのに、おかしい。
一つの事件が解決まで進むたびに、続く結論はバッドエンド直行路線。選択肢を選び損ねることなく進んだ結果、誰一人報われない物語が完成する。
おかしい。
どんなに書いてもバッドエンドなので、そちらにはお蔵に入ってもらい、自分で考えてハッピーエンドにつなげるという、ここに来てようやく物書きっぽいことをし始めたんですね。
つまるところ、山野~という物語は、一度バッドエンドを体験してから捻じ曲げられた幸せの元に成り立っているということになります。
絶対にバッドエンドはありえない。
というのは、まあ自分がバッドエンドがあまり好きじゃないというのもあるんですが、やはり、ネット投稿作品の処女作としては、ハッピーで埋め尽くしたいのですよ。
世知辛いですからね、世の中。
物語の中でくらい、明るくハッピーで、頭悪く行きましょうよ。
まとめとして、結局なにが言いたかったのかというとーーーーー
もしかしたらそのうち、バッドエンドルートも投稿するかもなあ、という。
そういう、もしかしたらのお話がしたかっただけです。
長々失礼しました。
では、この辺で。