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最近の大谷教の巻

自己啓発本の傾向が、仏教の流れにそっくりというツイートを見かけた。


以前の自己啓発本:自分で努力して出世、成功する!



その後の自己啓発本:願うだけで、出世や成功の夢はかなう!



これが仏教の場合、


小乗仏教:出家して修業を積んで悟りを啓く!



大乗仏教:出家しなくても、みんなが救われるよ!



何だかものすごくイージーな方向へ進んでいるような気がする。要するに怠け者から受けているだけに思えてきた。俗受けするだけの、大甘の理屈ではないか。

その点をはっきりさせるために「大谷翔平になりたい教」といった宗教を考えてみるとよいのではないか。


昔の大谷教:投打で活躍するためには、ピッチングとバッティングの猛練習が必要だ!



最近の大谷教:願っていれば、みんなが大谷翔平だよ!


いい加減だなあ。

しかし後者の方が絶対に受けそうだし、本当に人類はこの程度でいいのだろうか。弱者救済というより、本当に民衆の阿片ではないか。

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