年表を読んでいると、
「これはもっと後に起きたはず」
「これはもっと前の時代の出来事かと思っていた」
といった思い込みが修正されて、整体師に体を直されたような快感がある。
もっと単純で面白いのは、日本で売れたアルバムチャートではないかと気づいた。
たとえば1983年は中島みゆきvsユーミン、中森明菜vs松田聖子といったライバル同士がしのぎを削り、マイケル・ジャクソンの「スリラー」、山下達郎の「メロディーズ」、サザンオールスターズの「綺麗」もある。
いずれ劣らぬ名盤がゾロゾロと並んでいる。
にもかかわらず、一位は「フラッシュダンス」のサントラで、二位はフリオ・イグレシアスなのだ。
今このワンツーフィニッシュの洋楽コンビを振り返ると、
「何なんすかね……」
以外の言葉が出てこないが、これこそ1983年の日本人による投票(=購買)の結果なのだ。
83年は、決して皆が「オレたちひょうきん族」を見ながらYMOを聴いていた年ではない。
むしろ、「フラッシュダンス」のサントラをユーミンやサザンよりも優先して買い、家では欽ちゃん番組を見て、斉藤清六を喜んでいた時代ではなかったか。
ちなみにシングルチャートは一位「さざんかの宿」、二位「矢切りの渡し」、三位は「めだかの兄弟」という垢抜けない雰囲気になってくる。
アルバムのチャートの方がまだしも、少しは洗練されているのであった。