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人形劇のわからなさの巻

昨日の近況ノートにいただいたコメントから、NHKの人形劇の記憶がよみがえった。

あれは半端な時間帯に、そう人気がある訳でもない、妙な番組だった。何となく自分はよそよそしいものを感じて距離を置いていたような記憶がある。

一方でその頃、少年ジャンプの「Dr.スランプ」がいかに革命的な存在として登場したか、について書いている人の思い出を読むと、そうだそうだと同意できる点が多々ある。

鳥山明の絵は奥歯が描いてあるとか、靴紐が穴を通っている部分まで描きこまれていたとか。それ以外のデザインについて、配色について、いかに優れていたことか。

その辺の意見にはみな同意できる。確かに自分もアニメ化される前に読んでいて「恰好いい」「おしゃれだ」「冴えている」「才能がある」「見ていて気持ちいい」「他の漫画家よりも新しい」「優れている」と感じていて、それが世間の多くの人間にも次第に波及していったのだ。

このとき、自分の感覚と世間の感覚は、時間差があるけれども一致しているという手応えがある。

しかし、人形劇の「プリンプリン物語」はどうだろう。

そもそもお姫様が美しいのか、可愛いのか、見ていてよく分からない。「何となく気味が悪い」「ノットフォーミー」としかコメントできない怪しげな雰囲気に包まれていた。

なぜ、このような番組があるのか。

世間の人はこれをどう思っているのか。

熱心に見ている人がいるのか。

みな、謎めいている。

「お母さんやお父さんに質問しても、分かるはずがないだろうな」

というあの感じ……。何だか妙に懐かしい。

そういえば、テレビのアニメ番組や特撮物が映画化された時に、聴き慣れない新曲が流れるのが恥ずかしくて嫌だったのだが、なぜあれがそんなに嫌だったのか、今でもよく分からない。

2件のコメント

  • おもしろく拝読しました。

    人形劇なんですけど、あのぎこちない動きとか、手足に棒がついているところとか、違和感だらけですよね。でも、脳がそういうところはうまいこと排除して、ストーリーだけを懸命に追っていた気がします。

    NHKの教育番組もかなり無理のあるものがいっぱいありましたが、あれはあれで可笑しくて、「ああいう独特の世界」を味わっていたように思います。

    逆に漫画の方は、普段私たちが気にもしない細部まで描かれていると、「物をこういうふうに見ている人が存在するんだ」という驚きがあったかもです。

    「余分なところは排除」と「細部にわたって書き込む」というのは、小説にも通じますね。
  • >あのぎこちない動きとか、手足に棒がついているところとか、違和感だらけ

    あの独特の動きは、確かに妙ですよ。喋る時に全身が動くとか、腕の動きもUの字を往復するような、普通とは違う動きで。

    省略されていようが何だろうが勝手に補って楽しめる場合と、そうでない場合があって、ちょっと人形劇には入れなかったってだけのことなのかなとも思います。
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