のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて 足乳根の母は死にたまふなり
の、「ゐて」の響きは、
万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて 神奈川県立橋本高校
を思わせます。
とするなら、入れ替え可能ではないでしょうか?
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて 神奈川県立橋本高校
昨日の解釈では小学校にいた燕が、こうしてみると高校ならではの爽やかさ、青春っぽさ、鮮烈さ、が出てきます。
名歌の上の句と、名歌の下の句を結合させているのですから、当然のこと名歌パワーが直列つなぎになるという訳です。
では、残った方はといいますと、
万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて 足乳根の母は死にたまふなり
これは原因と結果が、ストレートには結びつかないですね。
他の場にいる時、親しい間柄の人からは「万智ちゃん」と呼ばれている人なのに、学校では「先生」と呼ぶ生徒たちが大勢いる。
そのことが、いきなり「母の死」という結果を呼び寄せ、叩きつける。
「先生!」「……ガクッ」みたいな。
子供たちの笑顔と、めっちゃ唐突な死。
二コマ漫画のような、その激しい対立が感動を生むのでした。