DVDで「総長の首」を見た。昭和10年代の浅草が舞台である。しかしレトロな雰囲気は薄めで、見るからに1979年の映画という印象の方が強い。「これは傑作」「かなりの駄作」と意見が分かれているものの、自分としては割と好きな方に属している。
137分もあるので退屈しなくはなかった。中盤はずっとチンピラの青春群像劇のような面があり、ジョニー大倉、清水健太郎、三浦洋一、小倉一郎のパートが良かった。通常、ここはいくらでも短くできる部分だが、かなり多めになっている。
シェイクスピアの史劇とやくざ映画はよく似ており、どちらもお話は権力闘争で、絵としては首がよく出てくる。打ち首、晒し首、首切り係は当然ながら史劇によく出てくる。やくざ映画はタイトルからして「総長の首」「日本の首領」で、「ゴッドファーザー」も有名な首の場面があるし、北野武の「アウトレイジ」シリーズも同様に出てくる。新作はそのものずばりの「首」である。首とは強権の象徴のようなものか。
やくざ映画の監督や脚本家は、シェイクスピアの史劇を読んでいたかどうかについて、漠然と「読んでいないだろう」と考えていたが、中島貞夫は東大で「ギリシャ悲劇研究会」にいて、東映に入社後「お前、ギリ研か。ギリシア悲劇は時代劇や。ほな、京都行け。」と会社に言われて京都の撮影所に行ったそう。
ということはシェイクスピアを読んでいて不思議ではないどころか、むしろ当然ではないだろうか。北野武も、どこかでシェイクスピアは全部読んだ、と言っていた。